功績は部下のものにして、責任は自分で取る。
それが基本じゃないですかねぇ。逆に
功績は自分のものにして、責任は部下に押しつける。
なんてリーダーだったら、誰も付いてこない。
北京五輪で惨敗してからの星野野球日本代表前監督の言動を見るにつけ、つくづくそう思います。
中日時代、阪神時代の星野氏のことは、かなり優れた監督と見ていました。厳しさと優しさを併せ持つというような。それが日本代表チームで発揮されなかったのは、チームづくりに掛けられる時間が足りなかったためでしょうか。それとも、星野氏は代表監督の器ではなかったということなんでしょうか。
それはともかく、我々は社会の至るところでリーダー不足に直面しています。人物の器が、リーダーとしての職責を果たすのに十分ではないのです。社会全体が、リーダーの育成や選抜についてもっと真剣に考えなければならないように思います。
話を広げすぎかもしれませんが、戦後の平等主義は、案外こういうところまで弊害を生んでるのかもしれません。