死に馴れる

投稿者: | 2015-11-14

中高年以降は、死に馴れるということも大切な務めの一つです。

親や上司・先輩、さらには同世代の友人を亡くすことが重なれば、自ずと「自分の死」について考える機会が増えるはずです。ただ葬式から帰って喪服を脱ぐやいなや日常に戻ることを繰り返していては、自分の中に定着することはないでしょう。

死の準備を少しずつ進めていくというのは、死に馴れるための効果的な手段の一つと言えるでしょう。一方死の準備という営みにおいても、死に馴れること、自分なりの死生観を培うことは、大事な一部分です。互いに入れ子構造になっている、とでも言いましょうか。

死に馴れるためにできること・すべきこととしては死の準備の他に、死者との時間を持つということが挙げられます。死者の作品に触れる。あるいは、直接・間接に知っている故人を偲ぶ。まぁこの辺は、年齢により、人生経験により、性格により、どんなやり方が適しているかは人それぞれでしょうけど。

現時点では、「死に馴れる」と言われてもピンと来ない人が大半でしょう。「メメント・モリ」という言葉を知っている人は少なくないでしょうが、実際そのスローガンに沿って生きている人はまれだと考えます。多くの人が死に馴れるように持っていくのも、私の志の一つです。

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