尊厳死についての社会的合意を

投稿者: | 2006-03-29

尊厳死が議論になるのは、いつも事件が起こったときですね。悲しくなります。今回は、富山県の射水市民病院が舞台でした。


マスコミの議論では当初「安楽死」「尊厳死」という言葉が使われていました。薬物投与によって死期を早めたわけではなく、また本人の意思が明確ではありませんから、「消極的安楽死」の範疇でしょう。

本件については、まだ真相が十分明らかでありません。本人の明確な希望によるものではなかったようですが、家族の要望(単なる「同意」ではありません)がなかったのかどうか。家族すらあずかり知らないところで医師が勝手に人工呼吸器を取り外すなどということは考えられないと思うのですが、いかがでしょうか。

さて一般論として尊厳死・消極的安楽死を考えた場合、類型として考えられるのは、次の4つです。

1)本人が希望していて、家族も同意している場合
2)本人は希望しているが、家族の中に反対者がいる場合
3)本人の意思はわからないが、家族が要望している場合
4)本人は望んでいないのに、家族が要望している場合

1)と4)については、ともに議論の余地はあまりありません。1)については本人の意思を書面で確認すればそれで良く、4)は逆によほどの事情がない限り不法行為とならざるを得ないでしょう。

2)については、難しい問題は多々ありましょうが、基本的に医療側が関知すべきことではなく、当事者同士に解決をゆだねるべきで、本人との同意書面に「家族とのことに病院は関知しない」との一文を入れれば済むことです。

一番ややこしいのは、3)です。尊厳死が社会的に定着していない以上、何かの会話のときに一度ならず「自分も尊厳死がいい」と言っていたのでもない限り、当面は4)に近いものとして処理するのが理にかなっています。社会の8~9割の人が尊厳死を望むようになれば初めて、1)や2)に準じた扱いができるようになるのでしょう。その場合も、書面による家族の同意が必要なのは、言うまでもありません。

積極的安楽死については、判例に示されたように厳格な条件を満たすときのみ不法性が棄却されると考えるべきで、それ以外はとりあえず「犯罪」とならざるを得ないでしょう。日本もいずれは安楽死を合法化するときが来るものと信じていますが、それは尊厳死が定着してからさらに何十年か後のことでしょう。

厚生労働省もガイドラインづくりを目指して動いているようですが、もっと早く出してもらいたいものです。最初から完璧なものなんて、あるはずがないですから。上のように大雑把な指針を決めておけば、個々の特殊なケースについては、実例を積み重ねていく中でルールを固めていけばいいでしょう。

この事件を機に、できるだけ多くの国民が、尊厳死・安楽死を自分のこととして考えるのを期待します。

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