「遺言ニュース」というニュース系ブログを運営しているものとしては、大いに関心のあるテーマです。
大手新聞社の友人が嘆く「一次情報の蹂躙」(はてな匿名ダイアリー)
http://anond.hatelabo.jp/20081204113724
一次情報という言い方は正確ではないように思います。元記事とでも言うべきでしょう。
ともあれ、ネットの普及とともに人々が新聞を取らなくなり、ネット上のニュースサイトで済ませるようになった。結果、新聞社の経営が苦しくなっている。これは現実でしょう。
ただ細かいことを言えば、新聞記者の数が減ったとしても通信社がなくなるとは思えませんし、仮に新聞が壊滅状態になったとしても、テレビの報道部門はつぶれないでしょう。我々がソース、あるいはネタ元にするものがなくなる、なんてことは見通し得る将来には起こりそうにありません。情報源を維持するために新聞を購読する、というのはナンセンスでしょう。
今後は、当事者の発信する文字通りの一次情報に、第三者のコメントや批評といった二次情報、さらに要約などそれら一次・二次情報のメタ情報としての三次情報が加わったものが、ネット上のジャーナリズム生態系とでもいったものを形成すると見ます。その意味で、ネットで情報発信しないものはこの世に存在しないも同然、という風になるんじゃないでしょうか。
では将来、プロのジャーナリストは存立しえなくなるのでしょうか。大手のネットメディアに文を売る、自分のブログ等を有料化する、業界や企業のレポートを書いて対価を受け取るなど、収入の道はゼロではないはずです。ただそれが生計を立てられるほどの額に達する人がどれだけいるか。少なくとも、現在いる新聞記者の数より遙かに少ないことは確かでしょう。
要は、ネット時代は誰もがいくらかジャーナリストなんであって、プロのジャーナリストの必要性はそれだけ減るということです。