死生観ルネサンスが来る

投稿者: | 2016-03-16

東日本大震災から5年経つ日に掲載された記事。読み応えがありました。

被災地の心霊体験談を私たちはどう受け止めるべきか 「死」との向き合い方が示す、古くて新しい日本の形 | JBpress(日本ビジネスプレス)

「震災で日本人の死生観が変わった」ということはないと思っています(被害の大きかった東北三県はまた別でしょうが)。ただ長い目で見ると、死との関わり、死者との関わりに関して一つの転換点になりそうな感じはあります。上記記事にあるような神秘的体験が表立って語られて、それなりに国民の関心や共感をよんでいる、というのはやはり震災前には考えにくかったことですから。

もう一つ突破口になりそうなのは、自宅での看取りや、病院でない介護施設等での看取りが増えていくことです。生活の場で死んでいく人の割合が、今後急速に増えていくと見られます。いずれは病院での死と拮抗し、あるいは「再逆転」するかもしれません。そのことが我らの死生観に影響しないはずがありません。

さてこうしたときに手かがりになりそうなのが、江戸時代までの日本人の「あの世」観でしょう。テクノロジーが発達し、産業構造も変化した現代にそれがそのまま復活できるとは思いません。そもそも時代により地域によりかなりニュアンスが異なるところもあるでしょうし。とはいえ、海外のそれも宗教的背景の違うところの死生観よりも、我ら日本人の心に響くものはたくさん見つかるのではないでしょうか。

言ってみれば死生観ルネサンスのようなものが起こるだろうと、予想しています。

最後に、上記記事から印象的な箇所を引用しておきます。

ドライバーたちが幽霊話を匿名を条件に語っていることも特徴的である。「嘘だと言われて彼ら(霊魂)の存在を否定されたくない」というのがその理由である。ドライバーたちは礼節を持って幽霊に接しており、幽霊を危害を加えたり恨みを持ったりする存在とみなしていない。むしろドライバー自身が幽霊の無念の気持ちをすくいとる「イタコ」的な存在として振る舞っているようにも感じられる。

私たちは、生と死の間に明確な一線を引くこと、すなわち、ある一瞬を境にして生者が死者の世界に移行すると無意識のうちに考えている。だが、佐藤氏によれば、すこし前までの日本では、生と死の間に時間的にも空間的にもある幅を持った中間領域を認め、生者と死者の世界が交錯する長い期間があり、本質的に異なる状態ではないというのが一般的な感覚だったという。

ある時期から私たちは便利で快適な生活と引き換えに神や死者のささやきに耳を澄ますことをやめてしまった。神や死者を社会から締め出そうとしたのである。だが、震災を契機に私たちの霊性が呼び覚まされたと言っても過言ではない。

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