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	<title>人間の尊厳って へのコメント</title>
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	<description>遺言コンサルタント・永岡秀樹のWeb日記</description>
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		<title>koala より</title>
		<link>http://hideki-nagaoka.net/diary/archives/1065/comment-page-1#comment-384</link>
		<dc:creator>koala</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 24 Dec 2008 02:01:14 +0000</pubDate>
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		<description>身内の感情としては、やはり生きていて欲しいのです。
そんなに苦しんでいないという条件付きですが。

苦しみのうめき声を上げていたら、助かる見込みのない延命を望むのは、
患者にあまりにも過酷だというのは明白ですから。
でも「そんなに苦しんでいない」という線引きはどこでするのかと問われたら、
無責任ですが、答えはないというのが本当のところです。

私の場合、寿命が来たと思えて、それを受け入れられる状態であれば、
生きていることにしがみつく必要は全くないと思っています。
ただ、昔から自殺はしたくないと考えてきました。
また、私を看取る人たちにも、あまり悲しんで欲しくないと思います。
その辺の兼ね合いが難しいところです。
母の場合は、点滴をやめたいと自分で言ったところで私がそれを受け入れられれば、
ほぼ完璧（なんていうと不謹慎ですが）のタイミングでの旅立ちだったと思います。

オムツの中で自分が排便する姿など想像すると、もちろんイヤだと思います。
母がこうなる前の私だったら、その時点で死にたいと考えたでしょう。
でも、その時点で、自分がこの世への執着をどこまで切れているかが大事で、
プライドが傷つくという点より、それが優先事項ではないかと今は考えています。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>身内の感情としては、やはり生きていて欲しいのです。<br />
そんなに苦しんでいないという条件付きですが。</p>
<p>苦しみのうめき声を上げていたら、助かる見込みのない延命を望むのは、<br />
患者にあまりにも過酷だというのは明白ですから。<br />
でも「そんなに苦しんでいない」という線引きはどこでするのかと問われたら、<br />
無責任ですが、答えはないというのが本当のところです。</p>
<p>私の場合、寿命が来たと思えて、それを受け入れられる状態であれば、<br />
生きていることにしがみつく必要は全くないと思っています。<br />
ただ、昔から自殺はしたくないと考えてきました。<br />
また、私を看取る人たちにも、あまり悲しんで欲しくないと思います。<br />
その辺の兼ね合いが難しいところです。<br />
母の場合は、点滴をやめたいと自分で言ったところで私がそれを受け入れられれば、<br />
ほぼ完璧（なんていうと不謹慎ですが）のタイミングでの旅立ちだったと思います。</p>
<p>オムツの中で自分が排便する姿など想像すると、もちろんイヤだと思います。<br />
母がこうなる前の私だったら、その時点で死にたいと考えたでしょう。<br />
でも、その時点で、自分がこの世への執着をどこまで切れているかが大事で、<br />
プライドが傷つくという点より、それが優先事項ではないかと今は考えています。</p>
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	<item>
		<title>永岡 秀樹 より</title>
		<link>http://hideki-nagaoka.net/diary/archives/1065/comment-page-1#comment-383</link>
		<dc:creator>永岡 秀樹</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 23 Dec 2008 12:29:07 +0000</pubDate>
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		<description>koalaさん、コメントありがとうございます。
あの記事から間もなくお母様を亡くされたと知り、心が少し痛みました。
お悔やみ申し上げます。

さて、この問題については唯一の正解というのはないのだと思います。

ぎりぎり言えることがあるとすれば、元気な時から夫婦や親子で話をしておき、
少なくとも互いの価値観を知っておくべき、ということくらいでしょうか。
そして実際に「決断」を迫られる時が来たら、やはり基本となるのは本人の意思だと
思います。

私自身、自分自身についてはもちろん、身内についてもシビアな決断を
迫られた経験がないので、今後考え方が変わることはあるかもしれません。
変化は受け入れようと思います。

koalaさんは、ご自身がお母様と同じ病状になったとしたら、
どのようなことを望まれるのでしょうか。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>koalaさん、コメントありがとうございます。<br />
あの記事から間もなくお母様を亡くされたと知り、心が少し痛みました。<br />
お悔やみ申し上げます。</p>
<p>さて、この問題については唯一の正解というのはないのだと思います。</p>
<p>ぎりぎり言えることがあるとすれば、元気な時から夫婦や親子で話をしておき、<br />
少なくとも互いの価値観を知っておくべき、ということくらいでしょうか。<br />
そして実際に「決断」を迫られる時が来たら、やはり基本となるのは本人の意思だと<br />
思います。</p>
<p>私自身、自分自身についてはもちろん、身内についてもシビアな決断を<br />
迫られた経験がないので、今後考え方が変わることはあるかもしれません。<br />
変化は受け入れようと思います。</p>
<p>koalaさんは、ご自身がお母様と同じ病状になったとしたら、<br />
どのようなことを望まれるのでしょうか。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>koala より</title>
		<link>http://hideki-nagaoka.net/diary/archives/1065/comment-page-1#comment-382</link>
		<dc:creator>koala</dc:creator>
		<pubDate>Mon, 22 Dec 2008 09:08:44 +0000</pubDate>
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		<description>今頃こちらを拝見しました。
「人間の尊厳がわかっていない」という言い方は確かに傲慢でした。
私はあの時、母の命がいとおしくて、その気分で書いていただけで、
一般論として主義主張があって書いたものではないのに、
明らかに一般論としての書き方で断言していましたね。失礼しました。

終末期医療をどこまで望むかという問題は、個人差が大きいことです。
母はもっと早く点滴をやめて、自然に枯れるように亡くなりたかったでしょうに、
私は母を失いたくない欲から、点滴の続行を求めました。
でももう限界だったので、私の抵抗はわずか一日のことでしたけれど、
でもその一日が私の心の中にはトゲになって刺さっています。
母がやめたいと言った点滴を、私が続行を求めた事は、間違っていたと思います。
母の命なのですから、母の決定を重んじる義務があったのです。
この傲慢さには「人間の尊厳がわかっていない」と書いた傲慢さと通じるものがあり、
私の中に根を下ろしている問題点だと思いました。

自分で自分をコントロールできない度合いが増す事は、大きな苦痛だと思います。

自分で自分がコントロールできない経験も、苦痛でも大事なのか、
それともそれは断固として拒否すべき事なのか。
私にはまだ結論が出ていません。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>今頃こちらを拝見しました。<br />
「人間の尊厳がわかっていない」という言い方は確かに傲慢でした。<br />
私はあの時、母の命がいとおしくて、その気分で書いていただけで、<br />
一般論として主義主張があって書いたものではないのに、<br />
明らかに一般論としての書き方で断言していましたね。失礼しました。</p>
<p>終末期医療をどこまで望むかという問題は、個人差が大きいことです。<br />
母はもっと早く点滴をやめて、自然に枯れるように亡くなりたかったでしょうに、<br />
私は母を失いたくない欲から、点滴の続行を求めました。<br />
でももう限界だったので、私の抵抗はわずか一日のことでしたけれど、<br />
でもその一日が私の心の中にはトゲになって刺さっています。<br />
母がやめたいと言った点滴を、私が続行を求めた事は、間違っていたと思います。<br />
母の命なのですから、母の決定を重んじる義務があったのです。<br />
この傲慢さには「人間の尊厳がわかっていない」と書いた傲慢さと通じるものがあり、<br />
私の中に根を下ろしている問題点だと思いました。</p>
<p>自分で自分をコントロールできない度合いが増す事は、大きな苦痛だと思います。</p>
<p>自分で自分がコントロールできない経験も、苦痛でも大事なのか、<br />
それともそれは断固として拒否すべき事なのか。<br />
私にはまだ結論が出ていません。</p>
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