葬式無用論

投稿者: | 2006-04-09

「葬式なんていらない」と銘打って、葬式無用論を掲載しました。以前からの持論です。これまであまり私個人の主張は出さないように努めてきましたので、異例の文となりました。


もちろん、葬式を必要と考える人、葬式の枠内で「自分らしさ」を発揮したいと考えている人は、葬式をすればいいと思います。親族など周囲のしがらみから、葬式をせざるをえないケースも、少なくないでしょうし。

ただ、これからは葬式によらない追悼のあり方も、重要な選択肢として浮上してくるはずですし、またそうなってほしいのです。その意味で、これからもこのテーマについては徹底的に考え、流れを推し進めて行きたいと思っています。

ちなみに、葬式無用論が意味を持つ背景には、次のような世相があります。

・斎場での葬儀が増えて、葬儀が葬儀会社主導になっている
・近所付き合いや職場付き合いが以前より希薄化している
・他のサービスに比べて、葬儀費用が割高だと感じるようになってきた
・既成宗教(なかんずく仏教)の形骸化・空洞化

ちなみに、従来から文化人の中には「葬式無用」を遺言した人が少なくありません。それが一般の人にも広まっていくのだとしたら、日本人全体が個人主義的になっていることも、大きな要因として挙げられるように思います。

折りしも、先にNHK総合「その時歴史が動いた」で取り上げられた白洲次郎も、「葬式無用・戒名不用」と遺言していました。

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