「生きづらさ」のわかりづらさ

言葉はよく耳にするけど、その内実がいまいちピンと来ない、ということがあります。

最近の私にとってその一つが「生きづらさ」という言葉です。若者や子供の困難な状況を説明するのに使われたり、当の若者自身が使ったりもしているようです。

私の感覚では、人の世で生きていく以上、ままならないこと、思い通りにならないことがあるのは当たり前で、ことさらに「生きづらさ」という言葉を使う意味がわかりません。自分では「生きづらいなぁ」と思ったことは一度もありませんし。

生きづらさを感じているという人は、我々より感覚が鋭敏なために、普通の人なら気にしないほどの違和感にとらわれてしまうのでしょうか。あるいは生き方についての理想が高すぎるために、今の人生や社会を肯定できない、ということなんでしょうか。いずれも、想像でしかなく、自分の中にない感覚なので、書きながら全くピンと来ていないんですけど。

なおこれとは別に、若者の代弁者として「生きづらさ」を使う知識人には警戒が必要なように思います。彼らはこの言葉をいわば突破口にして社会変革を図ろうとしている気配が濃厚だからです。社会変革ならまだいい方で、政府・行政に「おねだり」するときの口実として利用されているような気もします。

今のところはこんな調子で理解も共感もできない「生きづらさ」という言葉ですが、今後も気には留めておこうと思います。私自身が生きづらさを覚えることは、この先も一生ないでしょうけど。


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