生前準備と(良く)生きることとが相容れない、という考え

Twitterやブログなどで一般の人、それも中高年の人が生前準備に否定的な意見を述べているのを目にすることがあります。

(ただしこの場合、「生前準備」とか「死に支度」ではなく、「終活」と呼ばれていることが多いですが。)

特に多いのは「今を生きる方が大切で、死に備えるなんて二の次だ」というものです。

生と死は相容れないものです。生きているか死んでいるかは、どちらか一方で、両立なんてことはありえません。もちろん、死んだ人がまた生き返るというように互いを往き来することもあり得ません(逝ったら、逝ったきりです)。上記の意見を述べる人にとっては、死に備えるということも生きることとは別物で、むしろ生きることへの時間や労力を奪い取るものだと位置づけられているようです。

間違っている、とは言いませんが残念な考え方だと私は思います。敗北必至とでも言いますか。死の直前になって「そうじゃなかったんだ!」と気付いても遅すぎますよ。

私から言えば、死に備えること、死に向き合うことは生きることと相容れない(あるいは反する)どころか、良く生きるために欠かせない営みの一つです。そしてそれは私一個人の勝手な思い込みではなく、長い歴史の中で日本人にとって常識のようなものだったはずです。

若い時はそういうことに意識が向かなくて当然ですが、子を持ったら、あるいは人生の折り返し地点を過ぎたら、そういうことに関心を持ち、考えたり行動したりする時間をつくるのが「大人の嗜み」というものではないでしょうか。もし上記のような人にとって「生きること」の内容が娯楽や趣味、消費の域を出るものでないとしたら、「お前は何バカなことを言ってるんだ!」と叱ってやりたいくらいです。

なお、ここまで書いてきた「死に備える」「死に向き合う」はもちろん第一に自分自身の死のことです。それに加えて、親や配偶者、親しい友人などの死も、人生において大事な出来事です。何人もの身近な人を送った上で、最後に自分の死が訪れるというのが人生の順番というものですから。

上のような人に説得を試みたところで、考えが変わるとは思いません。なので時代が下るに従って、死と向き合う人が少しずつでも増えるような流れをつくっていきたいものです。日本社会の平均年齢が上がることはその点では「チャンス」となるかもしれませんね。


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