本業と政治的意見。評価は別々

投稿者: | 2016-07-23

今月、永六輔さん、大橋巨泉さんが相次いで亡くなりました。

それぞれ大きな仕事をした「巨人」と言ってもいいような人たちでした。現役というか第一線を退いてからは時間が経っていましたが、二人の死は本当に寂しいです。

ただ、彼らの政治的な意見には全く賛成できません。政党で言えば、共産党や社民党、生活の党あたりと重なる立ち位置ですよね。「無価値」というよりも、それなりに社会的影響力のある人たちですので「有害」とすら思っています。

この二人に限らず、昭和一桁生まれから団塊の世代に掛けての著名文化人・芸能人には、この種のタイプが多いです。私から見ると。本業でのお仕事は素晴らしく尊敬もするのですが、こと政治的発言・社会的発言となるとトンチンカンなモノが多いという。

上述の二人の他にも、宮崎駿、立花隆、吉永小百合などがそうです。少し高齢の人では、瀬戸内寂聴。また物故者ですが井上ひさしもそんな感じでした。

彼らはみな自分の老い先が短いことを意識しているのでしょう。近年その政治的発言が先鋭化しているように見受けられます。社会の多数派に受け入れられないことへの焦り、みたいなものもあるのでしょうか。

ただ物心ついた頃には自衛隊が存在し、またソ連・東欧など旧共産圏諸国のダメっぷりを見てきた我らの世代からすると、彼らの「イデオロギー」はいかにも時代遅れにうつります。現実の政治には通用しないであろう理想をいまだに持ち続けている。

哀れですが、日本の言論空間の足を引っ張っているという点では、彼らがいない方がまし、とすら思います。失礼ながら「はよ死ねば良いのに」と思うことも少なくありません。特定の個人についてということではなく、あの年代の左翼老人全般についてですが。

繰り返しますが、政治的な意見が「カス」「クソ」だとしても、本業の価値が下がるものではありません。本業が立派な人ほど、残念に感じてしまうというのはありますけど。

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