死生観の不易と流行

投稿者: | 2016-08-06

ここ最近、量子論と死生観の関係について関心を持っています。

何冊かの本も読みました。

自分の中では完全に理解しきれているとは言えず、「勉強中」「研究中」なのですが、現時点でもこれだけは言えます。今後死生観を語る際、量子論を踏まえていないもの、量子論に適合しないものはナンセンスである、と。

もちろん一般の人はそこまで探求する必要はないでしょうが、少なくとも死に関わる仕事に携わる「プロ」の人についてはそうです。そしてゆくゆくは、一般の人の間でも量子論が常識となり、それを前提に死生観が築かれ、死の準備が進んで行くようになって行くことでしょう。絶対そうなるとは言いませんがそうなる可能性の方が高いですし、想像以上に常識化するのが早いかもしれませんよ。たとえば10年かそこら、つまり2020年代中とかに。

それ以外にも、生命科学を応用した医療、人工知能なども今後の人類の死生観を大きく揺さぶりそうです。「確固たる死生観」なるもの自体が不可能になっていくのではないか、と思えるほどです。

けれど私自身は、ある意味で楽観視もしています。東洋の古典をしっかり読み込んでそれをおのれのものにしていれば、新しい科学の知見やテクノロジーが現れたとしても、ものの見方・考え方を根本的に変える必要はないだろう、と見ているからです。むしろ東洋の知の奥深さ・正しさを再確認する場合の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

上記のような新しい潮流に無関心でいるのは愚かですが、逆に振り回されるのも考えものです。それらを追っかける時間や労力のいくらかでも東洋の古典を読み直すことに費やした方が、結局は得るものが多いのではないでしょうか。私はそういう方針で行くつもりです。

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