人生が一度限りではなく、何度も生まれ変わりを繰り返すとしたら。
「死んだら無になる」と考えるのとは、生き方、生きる姿勢みたいなものが当然変わってくるはずです。「一度きり」「今回限り」となるとやりたいことをできるだけ消化したいという気になるでしょうが、「前世から課題を引き継いだ」「次の生もある」と思えば、目的を絞り込むことが可能です。
うまいたとえとと言えるかどうか分かりませんが、ある旅先に一度きりしか来ないつもりで行くのと、来年もまた来よう、毎年来ようという風に思って行くのでは、廻り方や過ごし方がまったく違ってくるでしょう。そんな感じです。
上では「絞り込むことが可能」と書きました。同時に、絞り込まねばならない、という面もあるように思います。「あれも、これも」というようなフラついた姿勢は許されない、ということです。
もちろん、若いうちなどは「これだ!」というものになかなか行き当たらず、迷いの時間を過ごすこともあるでしょう。でも人生の後半にさしかかって、あるいは死を目前にしたときにも今生の目的が定まっていないとしたら、その人生は失敗だったと言わざるを得ないのではないでしょうか。模索のプロセスを経たのであれば、無駄だったとまでは言えないかもしれませんけど。
なお私はこうした今生の目的のことを「志」と呼んでいます。