他人に迷惑を掛けないという「美徳」

投稿者: | 2016-09-23

日本人と外国人を比べて「ここは改めた方が良いのではないか」とよく指摘されることの一つに、日本人は他人に迷惑を掛けたくないという思いが強すぎる、というものがあります。

確かにこれから高齢化が進めば、介護などで他人様の厄介になるケースは増えることでしょう。「絶対に他人の厄介にはならん!」などと肩肘を張っていては、しんどいでしょうし、いつか行き詰まるであろうことは確実です。また平成に入ってからの日本社会は「他人に迷惑を掛けるな」という規範が強まりすぎて逆に日本人自身を追い詰めている面もあるので、それを揺り戻そうとする議論には一定の正当性も認められます。

だからといって「どうせお互いさまなんだから、遠慮せず他人や社会に甘えれば良いんだ」というのは逆の方の極論だし、やはり日本人全体の共感を呼ぶことはないように思います。そういうのを苦にしない厚かましい人が他人や社会にたかるのを、助長することになるだけではないでしょうか(敢えて「たかる」という強い言葉を使わせてもらいます)。

自助・共助・公助という分け方があります。できるだけのことは自分とその周りで何とかする。それでも立ちゆかない場合にだけ「公」に助けを求める、というのがあるべき様なのではないでしょうか。第一みんなが「公」にたかったら、カネや人的資源という点でだれがその公を支えるというのでしょうか。結局、ツケはみんなに回ってくるわけです。

自助の意識は、やはりどんな時代であっても美徳だと私は考えます。もちろん、障害や社会的境遇のために自助できる範囲が著しく少ない人については別途配慮するとして、という前提ですけど。

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