こういうことに進んでいるとか遅れているという表現を使うのは、適切でないかもしれません。
ただオランダやベルギーなど欧州の国々やアメリカの一部の州で安楽死が実現し、徐々にその許容範囲が広まっているのを見ると、議論することすらタブー視されている日本は、やはり「遅れている」と言わざるをえません。それも周回遅れ。
とは言え、この20年から25年ほどで日本人の死に対する意識がかなり変わったことを思うと、これから10年20年のうちに実現に向けた機運が一気に高まる可能性も大いにあります。
現在40代の私は、恐らく生きているうちに日本での安楽死合法化を見届けることになるでしょう。それどころかひょっとすると、私自身が安楽死によって生涯を終えるかもしれません。
その意味で、海外の安楽死事例を研究し、日本での制度化に向けた課題や論点を整理しておくのは、頭の準備体操として決して無駄ではないはずです。
海外のケースを見ても、仮に安楽死を認めるにしてもかなり厳格な条件でスタートしています。それが国民の間に定着してくるのを見届けた上で、少しずつ条件を緩めていく。日本でも恐らくこうなるでしょう。
つまりは、
- 本人がはっりした意識を持ち、文書で意思表示していること
- 専門家によるカウンセリングを受けること
- 不治の病にあり、症状がかなり進行していること
- 配偶者や子ないし親など近しい親族が反対していないこと
あたりが当初の条件になると思われます。仮に合法化されても、年間数十件からせいぜい百件、二百件といった例にとどまるのではないでしょうか。年間百万人を超える死者数の中で微々たる割合にしかならないのはもちろん、二万人を超える自殺者と比べても1%にも達しないことでしょう。
仮に安楽死が合法化されると、いずれは
- 認知症患者など意思能力を失った人の安楽死を認めるのか
- 「生きるのがつらい」など病気以外の主観的理由での安楽死を認めるのか
- 未成年とりわけ小学生程度の子供の安楽死を認めるか
といったことも議論になってくるはずです。
もちろん、これらはさすがに賛否が分かれるところですので、海外で認められるにしても日本では認めない、というのも一つの判断だと思います。私自身、今の時点ではメリット・デメリットがよく見えないので、賛成とは言いかねます。
表題に戻って、日本で安楽死を実現する道ですが、まずは尊厳死とりわけ延命治療の「中止」を合法化するのが先決と考えます。それが定着し、時には問題化するケースが出てくる中で、安楽死について議論する土壌みたいなのが出来上がってくるのではないでしょうか。
それなりに社会的議論が行われた上で、世論調査などで7割8割の人が反対するようなら、さすがに日本での安楽死導入は当面無理です。ただ医療の進歩が続き「なかなか死ねない」社会が到来しつつある中、認めるにせよ認めないにせよ、安楽死というテーマから逃げるべきではありません。
またこのテーマは、命や生命倫理について考えるのに格好のテーマでもあります。自分がするかどうかは脇に置いて、「安楽死を認める社会にするのか、しないのか」は誰もが一度は向き合ってみるべき問題だと思いますよ。
なおこのテーマについては3ヶ月ほど前にも、ほぼ同じタイトル、ただ若干違った切り口で記事にしています。こちらもあわせてどうぞ。この記事に限りませんが、コメントやトラックバック、大歓迎です。まずは、議論を巻き起こしましょう!
日本で安楽死を可能にするには(2016-07-17)