「坊主抜きでも」から「坊主抜きの方が」という時がきっと来る

日本ではいまだに葬儀というと仏式の葬儀が「当たり前」です。

今年話題になったアマゾンの「お坊さん便」も、普段寺との付き合いはないけど葬儀するならお坊さんがいないと格好が付かない、と考える層が少なからずいるから成り立つサービスなわけで。

でもそのうち、お坊さん抜きのお別れでも何ら差し支えない、さらに言えば、その方がより心のこもったお別れができる、ということに気が付く人たちが一挙に増えてくるのではないでしょうか。

今はまだ親族の中に保守的な人がいて「世間に顔向けできない」なんてことを言ったりするケースも少なくないでしょうが、葬儀自体ごくごく身内で行うようになっています。故人やごく近しい家族が「坊主抜きで構わない」「坊主抜きの方が良い」と望めば、それが通ることは比較的容易になっているのではないでしょうか。

さて本日、ダイヤモンド・オンラインに次の記事が掲載されました。

「墓なし・坊主なし」の弔いをやってわかったこと|山崎元のマルチスコープ|ダイヤモンド・オンライン

山崎元さんが父親を亡くし、どう送ったか、家族は何を思ったかが詳しく書かれています。結論は、こうです。

お坊さんなしの弔い(「坊主フリー」と呼ぶか「坊主レス」と呼ぶか迷っている)、をやってみて、「何よりも、家族でゆっくり、心のこもった別れができたのが良かった」というのが故人と長年連れ添った筆者の母の言であり、息子、娘も、100%同意するところだ。

従来の弔いの「形」が現代に生きる我々の感覚や価値観、ライフスタイルとマッチしなくなっているのは確かです。新しい試みをすれば「失敗だった」ということが出てくるかもしれません。ただ家族内でしっかり話し合った上、納得ずくで決めたことなら、そんなこともあとになれば良い思い出になるのではないでしょうか。失敗を恐れて古い「形」にとらわれ、挙げ句高い金をむしり取られるのよりは、ずっとましでしょう。

山崎元さんがこうして今回私的な体験を文にしてくれたみたいに、自分たちの経験を社会でシェアし合えば、不必要な失敗の数はいくらか抑えられるはずです。

彼女(引用注:筆者の母親)も彼女の子どもたちも無宗教だが、先祖に対する親しみや感謝の念は大いに持っている。また、冒頭にも述べたように、筆者は他人の信仰心を否定しようとは思っていない。生きている者の気持ちが整い、気が済めばいいのだ。

ただ、宗教及び「宗教ビジネス」を介在させなくとも、心のこもった弔いはできるし、先祖を思い出して感謝する生活をすることができる、ということをお伝えしたいだけだ。

この部分に共感する人は、多いのではないでしょうか。そしてそれを受け入れようとしない仏教関係者に憤る人も。上記記事には600件近い「はてなブックマーク」が付いています。明日は、ネット上での反響を見てみたいと思います。

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