人工知能と僧侶の仕事

投稿者: | 2016-12-22

興味深い論考であり、お考えに感心しました。

【寄稿】僧侶の仕事はAIロボットに代わられるのか | 仏教なう | 彼岸寺

人工知能がすべての仏典を網羅してそれを体系的に把握したとしても、完璧に法話や法要をこなすロボットが誕生したとしても、それが私の仏道を代わりに歩んでくれるわけではないでしょう。仏教の歴史を重ねてきた歴代の僧侶が誰しもそうであったように、僧侶というのは共通の人生の課題を背負って迷いつつ生きる一人の求道者です。

もし僧侶が仏道を歩む「私」という存在を抜きにして、経典を読み葬儀を執行しお布施をもらって人々を指導するだけのものだとしたならば、その「仕事」がAIロボットに取って代わられても誰一人困らないでしょうが、それはもう「僧侶」とは言えません。

葬式仏教のサービス提供者としての僧侶は、ますます経済的基盤を掘り崩されていくでしょうね。テクノロジーの活用によって、より安価で魅力的なサービスがつくれるようになるでしょうし、何より仏式葬儀そのものがある時から急速に廃れると思われますので。

他方で、高い人格的と魅力的な風貌を備えた「カリスマ僧侶」にとっては、活躍の余地が広がりそうです。それこそテクノロジーの力で、万単位の信徒を獲得することもできるようになるでしょうから。これまでは宗派というのが良くも悪くも「壁」となっていましたが、檀家という形ではなく個人として仏教にアクセスしようとする人にとっては、その僧侶がどの宗派に属するか、というのは二の次、三の次です。

極端な話、ブッダに匹敵するようなすごいお坊さんが日本に数人、いや世界に数人いれば、ほかに「プロ」の仏教者は存在し得ない、ということだって考えられます。スーパースター経済というヤツで、スポーツやエンターテインメントの世界で起こっていることが仏教で起こらないと考える方が不自然でしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください