看取りにまさる「いのちの教育」はなし

「死に向き合おうよ」とか「死生観を持とうよ」と呼びかけている立場の私ですが、結局のところ、身近な人の死に向き合い、立ち合うことにまさる学びの機会はないと思っています。

逆に年齢を重ねるうちにそういう経験を何度も持っていれば、死に関する文章を読んだり、医療者など専門家の話を聞いても、すんなり心に入ってくるのではないでしょうか。そしてそういう積み重ねが、自らの死に対する覚悟や構えのようなものをつくりあげてくれるのだと思います。

家族が大きく地域のつながりも強かった時代、そして人々がみな自宅で亡くなっていた時代には、そうした経験は自ずと蓄積されるものでした。でも今は時代が違います。「仕事(あるいは子育て)が忙しいから」「住まいが離れているから」と言い訳をすれば身近な人の死から逃げ回ることは可能です。だからこそ、意識して人の死に向き合うこと、あえて言えば向かって行く、というくらいの姿勢が大事なのではないでしょうか。

幸いというと変ですが、これからの日本は年間150万人前後の人が亡くなっていく「多死社会」となります。また国の方針もあって在宅や覚悟施設での看取りも徐々に増えています。極度に逃げの姿勢を取らない限り、学びの機会は増えこそすれ減ることはないのではないでしょうか。

よく言われるように、親であり祖父母たる者は、自分の子や孫に見せるというのも大事な人生の務めです。「迷惑が掛かるから」などと言わず、自分の死にどんどん巻き込むべきです。また当の子や孫の方も、自分の人生における一大事と捉えてそのお別れの時間をしっかりと味わってもらいたいものです。

参考記事:命の主人公は私 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)
(宮崎で「ホームホスピスかあさんの家」を主宰する市原美穗さんの文です。味読する価値あり)


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