葬儀の効用はいろいろあるでしょうが、親戚が会う機会(敢えて言えば、口実)をつくってくれる、というのも一つでしょう。
そして場合によっては、親族の結束を強めるのに役立つかもしれません。行事やイベントは、固有の目的を達成することと同時に、共同体の結束を強めるという隠れた機能を持つ、というのは、社会学や文化人類学が好んで指摘するところです。葬儀も、その最たる例でしょう。
やっと落ち着いた…(「えむぬま」の戯言Ver.2~傍目八目的雑記帳)
そして今日、やっと葬儀のためにゴチャゴチャになっていた実家の片付けまでが終わり、やっと一段落ついた。もしかしたら、みんな私と同じような感覚を感じていたのかもしれないが、近い親族だけで集まったところ、昨夜までの悲しみと疲労を感じさせる暗い表情から一転、これまでの嵐のように慌ただしかった毎日を冗談交じりに振り返れるほど明るい雰囲気でお茶が飲めるようにまでなっていた。
葬儀のカジュアル化はどんどん推し進めるべきだと考える私ですが、葬儀の持つこうした効用は、失ってもらいたくないと、上記の記事を読んで、改めて痛感しました。