「葬式無用、戒名不要」というダンディズム

投稿者: | 2017-01-17

俳優の神山繁さんが亡くなったあとのニュースで、久々にこの文字を目にしました。「葬式無用、戒名不要」。

神山繁さん託した遺志「ただのカルシウムだよ。葬式無用」…3日に急逝 (デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース

白洲次郎が遺言したことが有名ですが、芸能人・文化人にはこの種のことを言い残して亡くなる人は少なくないようです。

生前仏教と縁のないまま過ごした人が、「戒名なんて要らん!」というのは無理もありません。仏教に興味や畏敬の念を持ち続けてきた私ですら(というか、だからこそでもあるのですが・・・)、付き合いのなかった坊さんになにがしかの金を払って戒名をつけていただく、なんて気は毛頭ありませんから。

ただ「葬式無用」には引っかかります。「なんでそう思ったの?」と聞きたくなるというか。80代で亡くなったとなれば、当然いろんな葬式に行くこともあったでしょう。

そういうのに参列する中で、「自分はこんなのやらなくていい」と思ったのか。あるいは、早くから「葬式無用」の気持ちが固まっていて、いやいや葬式に出ていたのか。もしかしたら、自分の信条を貫くためある時から通夜・葬式への出席をやめていたかもしれません。

いずれにしろ、「葬式無用」は周囲の迷惑を憚るようでいて、究極の自己中心主義だよなぁ、という気がします。神山さんの場合、「お別れの会」すら謝絶するという遺志だったようなので、いわば確信犯でしょう。

映画やテレビドラマといった芸能の世界で長年生きてきた人だけに、独特の人生観・人間観・仕事観になってしまうのは仕方ありません。むしろそれが仕事を続けるバネになることもあるでしょうし。でも寂しくて残念な遺言だなぁ、と感じたことでした。神山さんが広島の呉出身で、戦闘経験はないにしても海軍の学校にいて終戦を迎えた、というのを知るとなおさらです。

「葬式無用、戒名不要」というダンディズム」への1件のフィードバック

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