個にとらわれない生き方を

投稿者: | 2017-01-19

生前準備の「業界」では自分らしい逝き方や自分らしい葬送といったことが好ましいものとして語られる空気があります。

ちょうど団塊の世代など戦後民主主義の風潮の中で育った人たちが中心になっていますので、個の確立を好ましいものと考えているためでしょう。ただそうした個人主義、もっといえば孤立した人間観みたいなものが、様々な弊害を生んできているように私には思えます。

個人をバラバラなものとしてとらえるために、人とのつながり・関わりは二の次とされます。そして人生の意味を一人の人生の中だけで構築しなければならないために、その意味がひどく卑小なものとなってしまいます。その卑小なものですら、その人自身が死んでしまえば水の泡と帰します。

つまるところ、個人を幸せにして生を充実させるはずのためだったものが、全くそれに寄与していないのです。

先日、「葬式無用」という遺言を寂しいものだと述べました。こうした死に際の事象だけを批判し、代替案を言いつのっていても仕方ありません。人々の人生観・人間観が変わらないと、寂しい死はなくならないし、今後ますます増えるのではないでしょうか。

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