等しく貧しく?

投稿者: | 2017-02-15

中日新聞・東京新聞に掲載された上野千鶴子氏のインタビューが物議を醸しました。

炎上した、と言っても良いでしょうね。

上野千鶴子「みんなで貧しく」が物議 「バブルを満喫してきた世代が何言ってるの?」

団塊の世代やさらにその上の世代の知識人・文化人が「経済成長なんてもう要らない」という主旨の発言をすることは少なくありません。自分たちがずっと日本の人口のボリュームゾーンだったために、自分たちが老いていくとともに「これからの日本は下り坂だ」という意識をどうしても持ってしまうんでしょうね。

ただやはり彼ら・彼女らより若く、まだまだこの日本で生きていかねばならない我らからすると、「何気楽なこと言ってんだ!」と反発したくなるのは確かです。

人口が急減し、高齢者の割合が増えていく日本において、たとえば5%を超えるような経済成長(実質GDP成長率)が不可能なのは確かでしょう。でもだからと言って成長率はゼロ近傍でもいい、あるいは人口減少程度にマイナスならいいというのはやはり敗北主義と言わざるをえません。

成長のためにできること、やるべきことを全部やり尽くしたというわけではありませんので。

衰退を受け入れ、貧しくなることに甘んじていると、ますます衰退が加速する可能性があります。さらに問題なのは、その時しわ寄せみたいなものは弱者・貧者に集中するのであろうことです。経済成長不要論を打つ人には、それでいいと思っているのか、あるいはそんなことはないと思っているのか、厳しく問い詰めたいところです。

日本に夢も希望もなくなれば、若い人、能力や資力のある人ほど日本を見捨てるのではないでしょうか。日本がアジアの片田舎、過疎地のような感じになる。それに甘んじようとはどうしても思えません。

70歳近い上野氏などは長生きしてもあとせいぜい30年ほどでしょう。自分は50年くらい生きるつもりですし、私より若い人たちにはもっと長い未来があります。「諦めるのはまだ早い!」と声を大にして何度も言いたいですね。

※下の関連記事にも表示されていますが、この話題は一ヶ月前にも朝日新聞の記事を発端にして書いています。「時代の空気」あるいは「言論界の一部の空気」みたいなものができつつあるようで、そこにとても危惧を覚えます。

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