身内の死と死生観

人の死生観はまちまちでしょうが、身内の死を経験することはかなり大きな要素となりそうです。

極端な例を挙げれば、高校卒業するくらいまでに両親とも亡くした人と、社会人になってもなお両親・祖父母がみな健在だった人では、死生観が違って当然、という気がします。

かく言う私も、同居していた祖母を小学校高学年のときに喪いました。それも、病気の兆候などなく突然に。その後の私の人生は、祖母がいなくなったこと、それも突然の病死だったことに強く影響されました。こうして生前準備を推進しようとするのも、祖母への追悼の思いから来ている面が多分にあります。

ともあれ人々が死生観について語り合う上で、こうした点がすれ違いやズレのようなものにつながるのは間違いありません。話し合いの最初に、基本情報としてお互いの「死別体験」について開示しておくと、無理解や誤解をいくらか避けられるかもしれませんね。

人生には不条理が付きものですが、こうして他者の死によって人生が大きく左右されるというのも不条理と言えば不条理。それを良いとか悪いとか言っても仕方ありませんので、受け入れて生きていかねばなりません。形は違っても誰もがこうした不条理の中に生きているもの。同じ時代の同じ国・地域に生きている者同士、細かい違いや対立はあっても広い意味での「仲間」という意識を持ちたいものです。

ただ今後世帯間の経済格差・文化格差のようなものが拡大し固定化してくると、社会階層間で死生観も隔絶してくる可能性があります。そうなると互いにますます「こっち側」「あっち側」という意識が強まり、階級意識のようなものとなって行ってしまうかもしれません。おぞましい未来ですが、実現してしまう可能性はかなりありそうです。

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