「動物福祉」という概念

投稿者: | 2017-04-10

英語で「animal welfare」と呼ばれているものを日本語で「動物福祉」と訳すと、捉え方やイメージが違ってくるのかもしれません。

いずれにしろ、日本人にはなかなか理解しがたい概念であり、運動なのではないでしょうか。

家畜の「飼育環境」重視=欧米で関心、東京五輪の食材基準に (時事通信) – Yahoo!ニュース

家畜の快適な飼育環境に配慮する「アニマル・ウエルフェア(動物福祉)」の考え方が、欧米を中心に広がってきた。2020年の東京五輪・パラリンピックを開催する日本でも、会場などで提供する食材の調達基準に盛り込まれ、農林水産省は生産者への周知を強化する方針だ。

欧州連合(EU)は肉や卵、乳製品の生産現場に対し、動物福祉の規制を年々強化している。12年には採卵用の鶏に関し、身動きが困難な狭い鶏舎の使用を禁止。豚や牛などにも飼育面積や環境の基準を定めた。

家畜を快適に過ごさせることで、結果的に良質な肉ができる。よって、多少のコスト増があっても品質面で十分に元が取れる、といった損得勘定に基づいてやるのなら理解できます。

でも「動物のためを思って」などということなら、そもそも家畜として飼うこと自体が動物の福祉に反するのではないのか、と思ってしまいます。偽善臭を感じてしまうんですね。

その辺、欧州の人はどういう風に感じているんでしょうか。日本人に限らず、東洋人と西洋人では家畜動物に対する見方・捉え方が根本的に違うような気がしてなりません。

動物を殺生して食べるのは忍びないから、菜食に徹するという人たちがいます。極端な場合は、肉だけでなく卵や牛乳など動物由来の食物を一切拒むという人たちも。一貫していると言えば言えますが、植物だって「いのち」です。他の命をいただくことに対して心から良心の呵責を感じるとしたら、自分の生命自体を絶つしかないのではないでしょうか。

自分が生きている間は、動植物問わず他の命をありがたくいただく。そして死ぬべき時が来たらじたばたせずに死んでいく。これが一番素直な態度なのではないかと思います。

これは私個人の考え方ではなく、日本人は古来、こうした生命観・家畜観を持っていたのではないでしょうか。オリンピックの関係でお付き合いしなければならない部分はあるかもしれませんが、無理に欧州の「スタンダード」に従うことはないのではないかと思います。

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