詩のチカラ

投稿者: | 2009-01-25

ここのところ相次いで、新聞のコラムで似たパターンの話を読みました。

亡くなった親の詩を、折に触れて思い起こし、生きる糧としている、というもの。一つはノンフィクション作家の久田恵さんで、母親の短歌を。もう一つは脚本家の市川森一さんで、父親の俳句を。

いずれも、遺作集を本にしており、たびたび繙いているのだとか。

ともにモノを書くことを生業にしている方たちだけに、一般的な行動や感性ではないかもしれません。しかし、親の書いた言葉があると、親を偲ぶことができると同時に、生きる上でのヒントや励ましを得られる、というのは普遍的なことのような気がします。

とりわけその言葉が短歌や俳句のような定型詩だと、言葉にリズムがあるので心に刻まれやすい。また、こうした短い詩は、情報量が少ないだけに、受け手の思索や空想を誘う力があります。

理論的、抽象的にはこうした「遺品」の持つ価値は認識していたつもりでして、かねてより遺言情報局でも「”作品”を遺す」という項を作っておりました。でも、やはり実際にそれを活かしている人の言葉には、重みや迫力があります。

詩のチカラというものを、改めて認識させられたことでした。

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