妻が遺したエンディングノート

投稿者: | 2017-05-11

先日福井新聞が出した「エンディングノートに亡き妻の思い」という記事について。

前回はネタ入手のいきさつについての疑問というか興味を書きました。今回はこの女性のエンディングノートそのものについて。

生前準備について関心を持つ者として、気になったポイントは下記の4つです。

死を強く意識する中で書かれたものであること
生前準備は病気になってからとか死が目前に迫ってからではなく、いわゆる「元気なうち」に手を着けておくのが望ましいです。一般論としては。事故や災害などで不意に死んでしまったり、生前準備ができなくなるほどの急な病に襲われることだってありえますから。「早すぎることはない」というのは強調したいです。

他方で、仮に病に冒されたとしても、できることをできる範囲でやっておくのは素晴らしいです。家族などとの思い出づくりや、一人で死そして自分の人生と向き合う時間も必要でしょう。それと併せて、死の準備もしていただきたいものです。病気で大変な中で家族のために何かを遺そうとする「頑張り」は、きっと亡くなったあと遺族にとってかけがえのないプレゼントとなるでしょうから・・・。

前記に対比して言えば、「遅すぎるということはない」でしょうか。荒っぽい言葉かもしれませんが、死んでからも家族と交信可能だとしたら、死にかけているからと言ってそれが何だ!ということですかね。

生前夫にもノートの存在を伝えていなかったこと
邪推かもしれませんが、「亡くなる瞬間まで、妻がいなくなるとは思えなかった」という言葉を見ると、このご夫婦の間では女性の余命について認識・意識のギャップが相当あったように思わざるを得ません。

葬儀についての願いが叶えられなかったこと
「信仰にかかわることはしないで」というのは、福井で生きた女性としては異例なほど強い意思表示と見受けます。福井でこの遺言について真面目に語り合ったら、少なからぬ夫婦ゲンカ、そして離婚が起こるのではないかと思うほど。

昔は「成田離婚」、そして最近は「死後離婚」なんてことが言われますが、そのうち誰かが「終活離婚」なんで言い出すかもしれません。葬儀やお墓のことは、イエの問題と直結していますからね。大半の人は不満もなく慣習・風習に従うものでしょうが、それに不満を感じる人が女性やより若い世代を中心に増えている、というのは現実かと思います(自分の感覚に近いので、どうしても過大評価しがちなことは、自戒します・・・)。

子供(次女)へのメッセージが書かれていたこと
たぶんこの記事を読んだ人のほとんどが、この部分に最も心打たれたのではないでしょうか。私もそうですし、恐らくこの記事を書いた記者も。内容の当否はさておき、こういう言葉には別格の力がありますね。望むらくは長女あてのメッセージも知りたいですが、これは長女が公開を拒否したかもしれませんね。あるいは、口頭で別途伝えていたか。たぶん22歳の長女とは女同士の会話や関係性があったものと推察します。

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