死を前にした人の心理

投稿者: | 2017-06-07

ニューズウィーク日本版で興味深い研究が紹介されていました。

死が迫ると人は幸福を感じる?–米研究 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

研究では、筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic lateral sclerosis:ALS)の末期にある患者と死刑囚という2つの集団について、死を目前にした時期の発言内容を分析した。ALS患者については亡くなるまでの数カ月間に書かれたブログを、死刑囚に関しては刑執行前に残した最期の言葉を調査対象とした。

研究チームは、この2つの集団の比較対象として、死期を意識していない一般の人たちを対象に、自分が末期患者になった気持ちでブログを書いてもらったほか、自分が死刑囚だったら最後にどんな言葉を残すかと尋ねた。

両者の言葉を比較した結果、一般の人たちが想像した最期の言葉のほうが、実際に死に直面した人による言葉よりも、ずっと否定的であることが判明した。グレイはこうコメントしている。「死が近づいたときの感情は、悲しみや恐怖が多くを占めると考えがちだ。だが実際は、一般の人が想像するように悲しくも恐ろしくもなく、むしろ幸せな気持でいることがわかった」

今後も検証を要するでしょうが、死を前にした人の方がそうでない人よりも死に対して恐怖感を感じていない可能性がある、というのは大いに励まされる事実です。実はこのブログで2ヶ月ほど前に「死が怖い」というネット上での話題を元に記事を書きました(当時は特に意識していませんでしたが、4月4日付けでしたね)。

「死ぬのが怖い」への対処法(2017-04-04)

ここで「死が怖い」と言っている人たちは死の遠くにいる人たちですので、上記の研究結果とも整合的です。

仮にこの研究が正しいとして、死を前にした人がこうした心理になるのはなぜでしょうか。

人生の残り時間がわずかであるということを意識することで、自分の人生に対し、そしてこの世界に対して感覚が鋭敏になり、美しさや愛おしさを覚えるのかもしれません。ちょうど高見順が詩「死の淵より」に記したように。

あるいは人によっては、お迎え現象のような形でこの世を超えた世界と関わりを持っているかもしれません。そこまではっきりした体験でなくても、現世を超越した感覚・境地に至る人は結構少なくないと考えられます。

恐らく伝統的な社会ではこのようにして死にゆく人を何度も目にすることによって、人々は次第に「死ぬのは怖くない」「死ぬのも悪くない」という風な境地になっていったのではないでしょうか。それで割と安らかに死んでいくことができ、その場面を目にした家族や近所の人たちも同様に安らかに死んでいく、と。「従容として死に就く」という慣用句がありますが、それが普通・当たり前だったのだと想像します。

ひるがえって現代社会、とりわけ今の日本では、そうした「従容とした死」に会う機会が少ないため、なおさら死を前にしていない人が死を恐れ、忌避する風潮が強まってしまっている気がしてなりません。

その流れを反転させたいと普段から考えている私ですが、そんな立場からすると今回の研究は励まされるものでした。多くの人に知らせてあげたいですね、「こういう研究結果が出たそうですよ」と。もちろん、今後反証のような研究結果が出てきたらそれも従容として受け入れたいと思いますが。

最後に、上記記事から引用します。この部分を読んだ時、「自分の考えと同じだ!」と膝を打ちましたよ。

現在の医療制度は、可能な限り死を避ける方向に特化している。これは主に、死が恐ろしく悲劇的なものだという観点に基づいたものだ。死を否定的に捉える文化的傾向を考えると、この方針は理解できるものではある。だが、今回の研究結果を見る限り、死は一般的に考えられているよりも肯定的なものである可能性がある。死神との遭遇は、思ったほど不吉なことでもないのかもしれない

死を前にした人の心理」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 安心立命に至りやすい要素は? | 死に支度すれば死神逃げていく

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