不老不死を考える

投稿者: | 2009-02-02

以前も不老不死には疑義を表したことがあったのですが、改めて。

テクノロジーの発達に伴い、不老不死が可能になったとします。当初は、ごく一部のお金持ちがその恩恵を受けるでしょう。ちょうど現在の宇宙旅行がそうであるように。

で、いずれ一般の人も利用できるようになったら、どうなるか。

少子化が進む
前の世代がいなくならないのに、後の世代もどんどん生まれたのでは、人口が増える一方となってしまします。意図的にか非意図的にかはともかく、不死の実現は猛烈な少子化圧力となるでしょう。新しい子がほとんどおらず、従来からいる人間だけでだらだら続く社会。それが不老不死後の社会です。

究極の能力主義社会
凡人がどれだけ逆立ちしても叶わないような天才って、人類の一定割合でいるものだと思います。そうした人たちが生き続けると、どうなるか。凡人の出番は、今より少なくなると考えるのが自然でしょう。あらゆる分野で、社会的な地位や威信、そしてたぶん収入までもが、能力と正確に対応するようになる。結構、息苦しい社会ではないでしょうか。

生命の抹殺が始まる
上記のように社会的ストレスの高い状況が予想されますので、殺人や自殺は今より増えそうです。そうした死からの復活が可能になるかどうかは、わかりませんが。あともう一つ。ナチスではありませんが、社会による「劣等個体の抹殺(要は、劣等とされる個体を不老不死の対象外とする)」なんてのも実現しそうな気がします。

ごく一部の人間が夢物語として不老不死を願う分には、笑っていられます。ですが社会がこぞって不老不死になると、いろんな不都合が生じるのが確実と思われます。仮にテクノロジーの発達によって不老不死(ないしそれに近いような大幅な長寿化)が実現できるようになるとしても、それを受け入れないのが我々の英知ではないでしょうか。

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