2025年と2045年

昨日、こんな記事を読みました(公開されたのは5日付けですが)。

日本の余命はあと8年?政府の楽観予測が示す「暗い未来」(田代 秀敏) | 現代ビジネス | 講談社

政策を考える上では楽観シナリオはどうでも良くて、極力現実的できれば多少悲観的くらいで丁度良いはずです。その点で、経済面における安倍政権のスタンスはとうてい支持できません。記事中で「忖度」なる語がでてきますが、これでは「大本営発表」と呼ばれても仕方のないシロモノだと思いますよ。

情報の入手・伝達にかかるコストが今とは比べものにならないくらい高かった昭和前期ならともかく、この時代にこんな非現実的な態度では困ります。野党やメディアもそこを衝けば良いのに、「もり・かけ」とかいう下らない問題にいつまでもご執着。国民をバカにしすぎじゃありませんかね。

それはともかく、2025年を一つの区切りとして、日本の財政や社会保障制度が大きな区切りを迎えるのは間違いありません。財政の場合、国債マーケットでの思惑も絡むので、もう少し早まりそうな気もしますが。

とにかくその時期当たりまでに必要な改革を行えないと、ハードクラッシュという風な悲劇的な展開もあり得ます。まだ日本全体にそのことへの危機意識が薄いように見受けられますが、私からすると歯がゆくもあり理解しがたいことでもあります。

一方こちらはどの時期に訪れるかわかりませんし来るかどうかもわかりませんが、ざっと2045年頃にシンギュラリティというものが訪れると予想する向きがあります。コンピュータの知性が人類全体を上回る時点のことで「技術的特異点」などと訳されたりしますね。仮にそうしたものが訪れるとすると、職業のあり方や社会における様々な制度の変革を強いられるのも確かです。もしかすると、その点についても人工知能が導き出す回答の方が人間のそれより圧倒的に優れていて、人間の出る幕はない、なんてことになるのかもしれませんが。

さてこの両者、どちらも対応が必要で、我らにとって時に身を切られるような変革を迫られることとなりそうですが、先に訪れるのはどう考えても前者の方です。しかも後者は実際どんな社会になるのかが見通しづらく、現時点では備えようがないのに対し、前者は違います。何が起こるかはかなりの角度で予測できますし、必要な「処方箋」もかなり出尽くしていると言えるでしょう。予期せぬ事態というのはまれでしょうから、それが出てきた都度対応すれば済みます。

その意味で、シンギュラリティについては将来的な対応への構えをとりつつ、まずは「2025年問題」への対応を優先する、というのが賢明な戦略と言えそうです。


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