「差別は良くない」という思考停止

ここのところ、アメリカで起こっている差別をめぐる騒動に関心を持っています。

一つは、グーグルの社員が社内での議論で「女性はソフトウェアエンジニアに向いていない」などと書き込み、クビになった件。

もう一つは、バージニア州で行われた白人至上主義者の集会場周辺で反対派との衝突が起き、車で突っ込む者などが出て死人が出た件。

こちらは事件後のトランプ大統領のコメントをめぐってまだ騒動が続き、尾を引きそうな気配です。

私自身は、男性の方が女性より優れているという性差別主義者でもなければ、もちろん白人が世界を支配することを肯定するような人種差別主義者でもありません(そもそも、白人ではありませんし)。

けれど、二つの騒動後に起きている反差別の言説には偏ったもの・危ういものを感じています。一言で言って、常軌を逸しているのではないでしょうか。「差別は良くない」というテーゼを絶対的な正義として打ち立て、それにいささかでも疑問を呈しようものなら、差別主義者と決めつけレッテルを貼り、社会的に抹殺しようとの意図さえ感じられます。

折に触れて痛感することですが、人権とか反差別を振りかざす人たちは、他人の思想や言論の自由を蹂躙することは何とも思わない傾向があるようです。それもこれも、自分たちの側が絶対的に正しいからだ、と思い込んでいるからでしょうね。だから異論や反論に対して驚くほど聞く耳を持ちません。こういう人が増えると、いつか自分のような自由主義者も標的にされるかもしれません。だからこそ、対岸の火事ではあっても声を上げておかねばならぬのです。

さてグーグルの件について言えば、仮に「多様性」の名の下に女性や白人以外の人種(とりわけ黒人やヒスパニック)あるいは障害者などが過度に優遇されている現状があるとするなら、それに対して疑問を呈するというのはありではないでしょうか。仮に発信者の言辞に差別的思想が見え隠れしていたとしても、それを注意し改めるよう促すのがモノの手順というもので一発で解雇というのはいかにも寛容さを欠く気がしてなりません。

またバージニア州の事件について言えば、そもそも集会の場に押しかけていたのは反対派の方なので、殺人を犯した当の犯人を非難するのは当然としても白人至上主義者全般が悪者にされるのは筋が通らない気がします。たとえば過激派イスラム教徒がテロを起こしたからと言ってイスラム教は危険な宗教だという非難が起こるでしょうか。この辺、基準が恣意的な印象を否めないのですよ。

まして大統領がどんなコメントするかなんてことは、事件の本質には全く関わりがありません。揚げ足取りとまでは言いませんが、自分たちの意にかなうような言い方するまで許さない、認めないというのはまともな態度とは思えません。結局、トランプ大統領が気に食わないから叩けることがあれば何でも利用する、という風にしか見えないのですよ。

ともあれ、思想をめぐるアメリカの分裂と対立はトランプ大統領の任期中ひどくなる一方でしょうね。オバマ大統領の8年間もまさにそうだったわけですが、いわゆるリベラル派の人たちにとっては居心地が良かったので、そんなことは認めないでしょうが。

ひるがえって日本でも、差別をめぐって同様の対立や騒動が起こる可能性はあります。男性と女性、コリアンなどの在日外国人、障害者、高齢者などなど。「差別は良くない」で思考停止することなく、是々非々で丁寧に物事を考え、論じるようにしたいものです。


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