遺骨から日本社会を考える

先日、こんなニュースがありました。

板橋の集合住宅に遺骨10柱超 葬儀業者?長年放置か (産経新聞) – Yahoo!ニュース

東京都板橋区の集合住宅の一室で8月末、引き取り手のない“無縁遺骨”とみられる10柱以上の遺骨がつぼに入った状態で見つかり、警視庁高島平署に届け出があったことが23日、関係者への取材で分かった。遺骨はいずれも自治体の許可を得て火葬されたもので、事件性はないとみられるが、同署が詳しい経緯を調べている。

世相を反映した出来事ですね。今後こうした遺骨をめぐるトラブル・騒動は増えこそしても減りはしないでしょう。家族関係が縮小し、お墓や遺骨処理に対する価値観も変わっていきますので。

自分が死んだあと遺骨をどうするか。配偶者や子などそれを託せる相手がいる人は、さほど問題ではないでしょう。身寄りがないか、仮にいても遠方に住んでいたり付き合いが途絶していて頼れない人は、どうするべきか。生涯未婚率がまだまだ上昇し続けている日本にとって、将来大問題となりそうです。これは配偶者も子も無い私自身の問題でもあります。

一部の自治体では、身寄りのない低所得の高齢者に対し、遺骨の処理を含む死後処理サービスを提供するようになっています。また行政がそういうことに乗り出すのを期待する向きもあります。専門家と言われる人にも、また一般の市民にもそうした風潮がありますね。

時々NPOを含む民間の事業者が、お金だけ集めて事業破綻してしまったり、杜撰なサービスで詐欺まがいのことをやっているのが明るみに出たりするので、「民間には信用おけない。行政が責任もってやるべきだ」という気持ちになるのはわからなくもありません。

ただ、生前の無縁社会、そして死後の無縁遺骨急増といった現象は、日本社会の一種の「病」ですので、むしろ市民の側から解決策や対処法がいろいろと出てくるのが望ましいです。またそうでないと、行政の提供範囲が膨らみ続け、結局は税金で維持し続けることに限界が来るのではないでしょうか。要は、持続可能ではないのです。

まずは、「遺骨をどうするか」ということが生前準備の一環として重要なテーマだということが共通認識になってほしいですね。その上で、火葬場でゴミとして捨てるなり散骨するなり、どこかの共有墓地に埋葬するなり、いろんな選択肢の中から選べるようであってほしいものです。

そもそもそれ以前に、年老いた時点で死後のことを頼む相手を見つけられるのが理想です。結婚していない人、子のいない人でも。それは友人やご近所など個人かもしれませんし団体・企業かもしれません。あるいは「おひとりさま」どうしの互助グループのようなものかも。そうした「お互いさま」のネットワークが社会の中に縦横に張り巡らされることが、結局は日本社会を強くするのではないでしょうか。それは死ぬ前の段階である地域での医療や介護についても共通する要請です。

行政に対して安易に(敢えて、安易と言います)「あれをやってくれ」「これをやってくれ」と求めるのは、そうした社会変革の芽を摘むものでしかないと、私は確信しています。

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