タイトルが気になって読んだものの、心にひっかかりを覚えた文章でした。
がんに「究極の理想の死」「究極の理想の看取り」なんて、ない。
私が違和感を覚えたのは、ただ一つの例、それも自分が実際に立ち合ったわけでもなくテレビでで紹介されただけの事例でもって「人の死とはこういうものだ」という決めつけをしているように見える点です。それも、悲観的な方に。
確かに死にゆくプロセスで内面的に苦しみもがく人は実際にいるでしょう。けれどそれは不可避なものでしょうか。また抜け出せないものでしょうか。キューブラー・ロスの言う「死の受容」の段階に達しやすらぎの中で死んでいく人は少なくないはずです。恐らく、最後までジタバタする人よりもそちらの方が多いのではないでしょうか。
それを認めないのは、人間の強さやある種の賢さみたいなものを見くびりすぎている、と言わざるを得ません。
私のように死に備えることを口うるさく言っていても、もしかしたら自分の身に死が迫ったらジタバタしてしまうかもしれません。これに関しては「絶対」ということはありませんからね。ただ、「どうせジタバタするものだ」みたいに端から諦めてしまうと、自分の強さ・賢さを掘り起こすまでに時間が掛かり、もしかしたら死ぬまでに時間が足りなくなってしまうかもしれませんよ。
私は、(自分に限らず)人とは強く、賢く、気高いものだという信念でこれからも生きていきたいと思います。