自己責任を否定するのも、結局は自己責任

「自己責任」という言葉をめぐって論争が起き、日本社会の一部にこの言葉を毛嫌いする人が現れてから10年以上が経ちます。

そういう人たちにとってこの言葉は、個人とりわけ「弱者」と呼ばれるような人たちに責任を押しつけ、社会や世間が知らんぷりをするための免罪符として使われているように映っているのでしょう。

彼ら・彼女らが理想とするのは、そうやって責任を押しつけられ苦しむ人が一人もいないような社会、優しい社会なのでしょう。

けれど私は、そういう社会観・人間観は甘すぎると思います。そもそも成立しえないでしょうし仮に成立したとしても持続不可能でしょう。自助・共助・公助という言葉がありますが、基本は自助とその延長線上にある共助であるべきで、税金を遣い政府・行政が関わるような公助は例外的かつ一時的でなくてはならないのです。

困ったら社会がいつでもどこまでも助けてくれる、となったら自助の意欲が削がれないでしょうか。それは結局、公助にぶら下がる人、もっと言えばフリーライドしようとする人を増やすだけの気がするんです。「気がする」なんてものじゃなくほぼ確実にそうなる、と断言できます。

「誰が悪いのか」という意味での責任と言うことで言えば100%の自己責任なんてことはあまりないでしょう。けれど自分の人生に降りかかってきたことは最終的に自分で対処するしかない、ということで言えばいつも責任は自分にあるのです。

自己責任という言葉を毛嫌いし、「社会が悪い!」「他人が悪い!」ということばかり言って自分の人生をつまらないものにするのも(またどう考えてもつまらない人生なのにそれすら自覚しないのも)やはり本人の責任なのです。

少なくとも私は、自助努力をまず考える個人であり続けたい、と考えています。

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