「死の受容」をめぐって

ここのところ表題のことについて考えさせられるきっかけがあったので、現時点での私の考えをまとめ、文にしておこうと思います。

何年か経ったら、あるいは現実に死と直面したら考えが変わるかもしれません。でもそれは「その時」ということで。

上に述べたきっかけというのは、Twitterやブログの言説やテレビ番組だったりします。いずれも直接の見聞ではありません。ただ複数のところで「死の受容なんて現実にはほとんどないんじゃないか」「人はジタバタ死んでいくのが当たり前という現実こそ受け入れるべきだ」という話があり、私はそれに引っかかるものを感じたのです。

死にゆく人をケアする立場の医療者にとっては、患者が死に対してどんな態度をとっているかは是非も無いことです。それを前提にしてケアにいそしむほかありません。受容の方へ「導く」なんてことが好ましいかどうかはわかりませんし、そもそも可能だとも思えません。その意味で、医療者が上記のような考えに至るのは理解できるところもあります。

けれども、死の受容がレアだとか例外的だというのは、やはり視野の狭い考え方のように思います。現代日本の、それも大病院など限られた状況における「例外」でしかなく、人類史全体で見ればやはりほとんどの人は従容として死んでいったはずだからです。

ジタバタ死んでいく人が現代日本にやたら多い。それは現実かもしれません。けれどその現実を変えていくことは不可能ではないし、私の思い描く生前準備はそれに少なからず役立つはずだ、と考えています。

これを証明するのは私の一生を懸けた事業となるでしょう。もしかすると私自身が「反証例(つまり結局ジタバタしながら死んでいく)」となってしまうかもしれません。けれど、現時点では「負け」を認めるつもりはありませんよ。


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