とても興味深い話題です。
他の人がどう感じるかも知りたいですね。医療者、非医療者ともに。
死早める「飲食拒否」の終末期患者、専門医の3割が診察:朝日新聞デジタル
終末期の緩和医療に携わる国内の医師の約3割が、自らの意思で飲食せずに死を早めようとする患者を診たことがあった。日本緩和医療学会の専門家グループが調査した。
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2016年、みとりを専門とする同学会と日本在宅医学会の専門医の計914人に質問票を送付。回答が有効だった571人のうち、185人(32%)がVSEDを実際に試みた終末期患者を診たことがあった。経験した患者数は、168人(91%)が「1~5人」、8人は「6~9人」、9人は「10人以上」と答えた。
死期が近づくと飲食そのものが不可能となるわけですが、いちおうここで話題になっているVSEDとは区別できるものでしょう。ただ、病気や加齢によって生きる気力みたいなものが失われてきてそれが食欲の減退さらには消滅につながるとしたら「線引き」は案外難しいのではないでしょうか。
「欧米では」と言うのはあまり好みませんが、欧米では食べられなくなったら人は死ぬ時というのが常識化していると聞きます。日本の場合は医療者も看取る家族も「可能なら1分1秒でも長く生きさせてあげたい」という意識が強すぎるあまり、こういう自ら死に行くような人に向き合うとショックを受けるのだと思います。そして何もしないでいることに良心の呵責を覚えるという。
「痛みのケアはできるんだから、安楽死なんて必要ない!」と言い切ってしまう医療者がいます。そうした発言を耳にすると「人情の機微みたいものが全然わかっていないな、この人は」と感じてしまいますね。
ともあれ、日本で安楽死が合法化されるメドが立たない以上、当分の間はこうした自発的飲食拒否が自死を望む人にとって有力な選択肢となります。生命科学・医学が進歩するとテクノロジーの力を借りてどこまでも寿命を延ばせるようになるかもしれません。となれば事故や他殺、災害死といった「不慮の死」を除けば人の死は結局当人がそれを受け入れた時に訪れる、という風になるのでしょう。
安楽死が認められれば安楽死か飲食拒否かを選ぶことができます。けれど前者の途が閉ざされているなら、自分の人生に終止符を打つと決めた人が取る手段は、飲食拒否かもっと積極的な自殺方法かということにならざるをえないでしょう。首を吊るとか刃物で頸動脈を切るとか、有毒ガスを吸い込むとか。安楽死を認めない人は安楽死反対が人道的と思っているでしょうが、視点を広げればそうとは限りませんぞ。
記事に対する私のつぶやきが下記。記事を見て考えたのではなく、日頃から心に抱いている覚悟を文字にしただけです。
自分も安楽死認められなければ、たぶんこうして死にます。> 死早める「飲食拒否」の終末期患者、専門医の3割が診察:朝日新聞デジタル https://t.co/TV9h6qrmKb
— 永岡秀樹@生前準備デザイナー (@kokoro_yuigon) 2017年12月17日