所得の格差から「人生の格差」へ

投稿者: | 2018-02-02

「格差社会」という言葉が現れてからずいぶん経ちます。

そこで言われてきたのは、主に所得や資産についての経済的格差です。近年、健康格差という風に他の分野でも格差があらわになりつつあります。そして由々しきことに、いろんな分野での格差が連動性を高め、生き方の格差、人生の格差とでも言うべきものが広がりつつあるのではないか、と多くの人が感じ始めているのではないでしょうか。

(そういうことに心を痛めるのも、多くが社会において恵まれた立場にある人であるというところに悲劇的なものすら感じます。)

図式的に対比すると、こんな感じでしょうか。

両親が知的で裕福な家庭に育った者はゆうゆうと学校生活を謳歌し、いわゆる良い大学へ行く→その過程で似たような社会的背景を持つ友人たちとのネットワークを築く→社会人になってからも、金銭面・健康面・交友面などで恵まれた人生を送る

両親が貧しかったりそもそも片親だったりする→十分な教育機会に恵まれない→不安定な職にしか就けないかそもそも就職すらできない→友達はいわば悪友だったりそもそも交友関係自体が乏しい

もちろん全ての家庭・子供がこんなルートをたどるわけではないでしょう。運命とか必然というわけでないのはもちろんです。けれどチャンスとか確率という点で圧倒的な開きがあるとしたら、やはり由々しきことであるのは確かではないでしょうか。

これを放置すべきでない、というのは必ずしも人道的な面からだけではありません。テクノロジーが進展すればこの格差は途方もなく広がり続けるであろうこと。また上の「図式」の後者で示したようないわば負け組が社会の7割8割を占めるようになったら、そんな社会や経済が成り立つとは思えないからです。

そして私が危惧していることは、負け組の人たちが夢や希望を失い、自堕落な生活を送ったり品性がますます悪くなるというような悪循環が進むのではないか、ということです。こうなると格差是正の掛け声も虚しくなってきてしまうのではないでしょうか。

いずれにしろ、手遅れになる前に手を打つ必要があります。「では、どうやって?」というのは、次回の記事にて。

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