ベーシックインカムに代わるもの

投稿者: | 2018-07-03

AIへの期待と恐れが増大するにつれて、ベーシックインカムの話題を目にする機会が増えました。

ただ基本的にはベーシックインカムに賛同する人たちがその必要性と素晴らしさみたいなものを一方的に語っているだけで、導入に向けた真剣な議論や対話が起こっているとは言えません。私が不満なのは、彼らがベーシックインカムの利点についてしか語らず、起こりうるマイナスやよりましな代替案を検討しているようには見えないことです。

私は現代の日本においてベーシックインカムを導入することには反対です。

遠い未来において人々の仕事がなくなる、あるいは絶対数が大幅に足りなくなる、となれば大胆な解決策を模索しなければならなくなるかもしれません。けれどまだそういう段階にはほど遠く、むしろ女性や高齢者、外国人など働き手を増やすことの方が日本経済にとっての課題だからです。

また、一律で政府が国民に現金を支給する、というのがどうも道徳的にいかがわしい制度に思えてならない、という感覚もあります。加えて障害者や恵まれない家庭の子など公的な支援が必要な人への給付をやめられるのか、という問題もあります。もちろん生活保護も。

そのため、ベーシックインカムよりもましな制度はないものか、ということについてよく考えをめぐらせています。上にも書いたように、ベーシックインカム提唱者にそれを望むのは難しそうですので。

たとえばAIにより生み出される富を個人に還元できるような制度は考えられないでしょうか。人によってはロボットや人工知能を「人」と同様に課税対象にする、ということを言う人がいます。けれどもっと洗練された方法があるはずです。個人が株主のようなものになってそこから配当のようなものを得るとか、ユーザーとして提供するデータなどに対して対価が得られるような仕組みをつくるとか。

そしてもう一つは、政府に個人情報を提供することで所得税や住民税の税率を下げられる、あるいは税の還付を受けられるという制度が考えられないでしょうか。一律のベーシックインカムとは正反対に、コンピューターの発達をむしろ緻密な税制に利用するのです。労働参加に抑制的になりそうなベーシックインカムについて「逆噴射」だというイメージを私は持っていますが、むしろ税制の緻密な設計が可能となる中にあっても逆噴射と言えるのではないでしょうか。その点も、私がベーシックインカムをちっとも魅力的だと感じないゆえんです。

最後に、給付ばかりでなく、この社会で生きていくことのコストを極限まで下げる、という方向にも人工知能・ロボットを活かせるはずです。政府のコストや社会保障のコストをぎりぎりまで抑える。あるいは水道光熱費やインターネットの費用、デジタルで消費する娯楽の費用なんかも、まだまだ下げられるはずです。そうなれば「食うために働く」ということの必要性が大幅に減ります。

生活の必要のためにイヤイヤするような苦役としての労働は減り(あるいはなくなり)、楽しみとして、あるいは社会や人とつながるために、また自己表現の一環として働く。そういうのが社会の主流になっていくと良いと思いますし、また時代がそっちへ向かっているように思います。そうした想像力を働かせることも、こうしたテーマを議論する上では必要なのではないでしょうか。

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