先週、麻原彰晃などオウム真理教幹部7名に対する死刑が執行されました。
来年以降は天皇の譲位、さらには東京オリンピックが控えているので、「平成が終わる前に済ませておこう」という思惑があったのは間違いありません。
死刑の是非やオウム真理教という宗教団体への評価については、論じだしたらそれだけでブログがいくつも書けることでしょう。ですが今回は、それとは違う切り口で。
私がオウム真理教について罪深く思うのは、信者や一般市民に危害を加えたこととあわせて、宗教や精神世界に対する忌避感を日本社会に広く植え付けてしまったことです。語弊はあるかもしれませんが、こちらの方が「被害」の大きさという点では上かもしれません。
平成が終わろうとする今、そしてオウム真理教の事件が一つの区切りを迎えた今、我々はその忌避感を拭い去ることを真剣に考えた方が良いのではないでしょうか。もちろん宗教や精神世界、オカルトといったものの持つ危険性には十分留意しつつ、ですけど。
オウムが起こした事件から20年をゆうに超えています。幸いというべきか、あの一連の事件について知らない若者だってもう成人しはじめています。その点も、偏見なしに宗教や精神世界に向き合う良い材料と言えるのではないでしょうか。
オウムの悪について忘れろというのか?と言う人がいるかもしれません。
ただ私自身は、むしろ日本社会がオウムのような新興宗教に対してきちんと向き合わなかったことが、ああした異形の集団へと追い込んだ面もあったと思っています。幸福の科学だって一時は物凄いバッシングに遭っていましたよね。いつまでも宗教や精神世界を毛嫌いし、軽蔑していることの方が「第二のオウム」みたいなのを生むことにつながりやすいのではないでしょうか。