病気やケガを「治す医療」と死にゆくものに寄り添う「看取る医療」では、求められるものがまったく違います。
前者では技術、テクニックが重要です。もちろん患者と医者が良好なコミニュニケーションを図ることができたなら治療にもプラスでしょうが、やはり二次的な部分であるのは否めません。
それに対し後者では、医療としてできることは限られてくるので、医療者が人として患者とどう向き合うか、が決定的に重要になってきます。
本日、Twitterでこんな引用を目にしました。
いのちの最期を看取るという私たちの仕事は、ある意味で魂のそばに近寄る仕事でもあります。なぜ生きて、なぜ死んでいくのかという、声なき疑問に答えなければならない仕事でもあると思うのです。内藤いづみ
— いまをどう生きる (@imaodoikiru) 2018年10月10日
まさにこの通りだと思いますし、これを実感として持てない医療者は看取りに向いていないんじゃないでしょうか。
さて私自身は死ぬのはまだ先と思っているクチですが、たまに「死ぬ時はどんな医者・看護師に寄り添ってもらいたいだろうか」と考えてみることがあります。また、医療者の書いたもの(本やネットでの書き込みなど)を見て「この人に診てもらいたいだろうか?」と自問することも。
するとやはり、スピリチュアルなものに対して肯定的な感性・センスを持った人がいい、というか「じゃなきゃダメ!」くらいの感じになっています。そしてそれなら、医師よりも看護師のほうが合う人を見つけやすいのかもしれません。医療系の免許をいますぐ廃止しろ、とは言いませんが看取りに寄り添う人は無免許でも構わないよね?とは思います。