より良く生きる上で、また死にぎわを安らかに迎えるためにも、信仰心はないよりもあった方が絶対にマシ、と考えています。
かく言う自分は、強い信仰心があるわけではないのですけどね。
ただ、信仰心のある人を軽蔑したりバカにしたりする気はありません。羨ましいというと嘘になりますが、そういうのが無い自分をむしろ恥ずかしく思うくらいではいたいものです。
さて実のところ多くの現代日本人にとっては、仏教であれキリスト教であれ、もちろんイスラム教であれ、なかなかなじめない、というのが率直なところかと思います。言い方は悪いですがぽっと出の新興宗教に至っては、なおのことでしょう。
それよりも、もっと漠然と言うか曖昧模糊とした「天」とか「神」にこうべを垂れる、みたいなのが合っているような気がします。西行の有名な和歌にあるように「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」みたいな感覚ですね。
教義とされるような言葉に従うのではなく、こうした感覚を呼び覚ますこと、取り戻すことがすごく重要なのではないか、という気がしてなりません。私個人としてもそうなのですが、きっと同じ時代を生きる多くの日本人にも共通するテーマなんじゃないか、と感じます。