群衆の叡智 wisdom of crowdsについては、あり得るかどうか議論する段階はすでに終わりました。
現在の我々にとって重要なのは、それをどう活かすか。実践段階なのです。
LinuxやWikipediaを知る我々には、群衆の叡智なんてあり得ない、という感覚はありません。これらが出始めた頃、多くの人が「できっこない」と嘲笑したことを思えば、これは驚くべきことですが。
さて群衆の叡智という視点で見たとき、我々の社会や組織はいまだ情けないくらい原初的な段階にあることに気付きます。時代の閉塞感、なんてことがよく言われますが、我々の前には、未開拓の広大な領野があるのです。
まずは、それぞれの組織で、群衆の叡智を活かすことから始めましょうよ。
ところで、ことわざには「三人寄れば文殊の知恵」というのがあります。明らかに対面状況を想定しているところには時代の限界がありますが、今後このことわざの持つ重みを、21世紀に生きる我々は人生を通して実感することになるでしょう。何といっても、ことわざそれ自体、群衆の叡智のたまものですから。