生きづらい世にしないために

投稿者: | 2019-01-18

最近よく聞く「生きづらさ」という言葉、私には正直ピンと来ないところがあります。

いろいろな欠点を抱えつつも、心身ともに健康に生まれ、育ってきたことが大きいでしょうね。あと子供時代は学校のお勉強だけはよくできる子でしたので、その点も自尊心の維持に相当役立っている面があります。

ただ最近気になっているのは、がさつな人、傍若無人な人が増えたとしたら、私のように対人場面で押しの弱い人間はさぞ生きづらくなるだろうな、ということです。無知な人・無学な人が増えてもさほど困りませんが、人としてなっていない人が増えると困ります。とりわけ自分は知的に有能だとか、金持ちだと自負していながら徳性がそれに伴っていない人だと、なおさらそうかもしれません。

たとえば、

  • 電車やお店、劇場などで居合わせた相手
  • 職場の同僚
  • 仕事で接する客・クライアント
  • 隣近所の住人

なんかが「人として不合格」レベルだったら、毎日の生活がつらくなるんじゃないでしょうか。そういう人がポツポツいる程度だったら、それこそ鼻をつまんでいればいい(その時だけ我慢)ですが、いつの間にか多数派になったら・・・。

その意味で、「情けは人のためならず」ではないですけど、日本社会あるいは自分の暮らすコミュニティ・地域社会の道徳水準を維持するために身を削るのは、結局自分自身のためになるというのが明らかです。そしてこういう「お互いさま」精神のない人こそ、私の考える人としてなってない人のイメージです。

人間ですから、それはきっと汚い部分、自己中心的な部分はあります。それをただす、あるいは矯めるのが、しつけであり教育の重要な役割かと思っています。

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