専門家の倫理とは

投稿者: | 2009-04-02

社会学界の惨状について嘆いたブログエントリが、注目を集めています。(目下、350件を超える被ブックマーク)

阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望 | Theoretical Sociology

私も阪大で社会学を学び、ブログ筆者の方とは同じゼミに参加したこともあるのですが、それはさておき。

私も、時にテレビに出たり本を書いたりしている学者のいい加減さにあきれることがあります。解剖学者や脳科学者が社会について語るのは論外としても、経済学者や社会学者、あるいは哲学者であっても、社会について何でも語れる・語っていいわけではありません。せめて自分の専門外のことについては、「・・・大学教授」ではなく「・・・評論家」と名乗るべきではないでしょうか。

この弊害への最善の対処法は、本来そのテーマや分野についての専門家の人が、専門的見地から、そのディレッタント学者の言説のどこがおかしいか、間違っているかを指摘する、ということだと思います。建設的批判というヤツですな。陰で悪口のようなことを言っているのでは、全然建設的ではなく、社会にとっても不幸です。

専門家を名乗る以上は、その分野の発展に貢献する。少なくとも、貢献しようとする。それが専門家としての最低限の職業倫理だと思います。業界のPRのために一般向けの言論を展開することはあっていいと思いますが、それが専門分野の実態をゆがめて伝えるものであったり、ましてやその分野のイメージを悪化させるものでは話になりません。

私は「志」という言葉を愛用していますが、ある専門分野に人生を捧げるというのは、立派な志たり得ると思います。そして社会学というのも、そうした専門分野の一つです。太郎丸氏には、日本社会学界の発展のためにこれからも研究を続けていただきたいものです。

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