前にも触れたことのある鈴木義幸氏のコラム。今回のもグッと来ました。
ビジョンを立てる暇がない? ビジョンがないから忙しいのだ:日経ビジネスオンライン
氏は「ビジョン」という言葉を使われていますが、私のいう「志」に置き換えても平気だと思います。
前半は、「ビジョンは内側から沸き起こったものでなければ」というお話。
外部に基準を求め、それとの比較で自分の組織のビジョンを作る。それも悪いわけではないですが、外部基準をベースに作られたビジョンは、「これをやりたい!」という内部基準から沸き起こるビジョンに比べてどうしても見劣りします。
他者に働きかけ、協力を仰ぎ、力を結集するためには、何よりもビジョンにエネルギーがなければなりません。リーダーが示したビジョンにパワーを感じるからこそ、メンバーは惹きつけられ、実現に向けて自分の力を使いたいと思うのです。
何事でもそうですが、内発的に動機付けられた場合とそうでない場合では、行動の際のエネルギーに大きな違いが出てきます。ここで述べられているようにリーダーとして周りを引っ張っていく立場にある者については、なおさらでしょう。自分が熱くなっていないのに、周りを熱くできるわけがありませんから。
記事ではその後、ビジョンを描く方法が述べられています。これについては、別のエントリで。
私なりに上記に追加するなら、まず、ビジョンなり志を持ちたいという思いを抱くことが先決と考えます。
ビジョンは一度にスッキリとまとまるなんてことはなくて、考えたり情報収集したり行動したりする中から、徐々に熟成されていくものでしょう。そうやって時間を掛けて練り上げられたビジョンは、強い。
あらかじめ想定した通りのビジョンが自分を捉えるということは、あまりないかもしれません。というか、そんな風に読めてしまう底の浅いビジョンは、危ういとすら言えます。それでも、ビジョンはそれを持ちたいと熱望した者にしか与えられません。だからこそ、まず「ビジョンを持とう」と決意し、熱望しなくてはならないのです。
ちなみに、ビジョンを求めている者同士には、その中味に関わらず、何か互いに感じるものがあるように思います。また、ビジョンを求めている者・ビジョンをつかんだ者からは、そうでない者のこともはっきり見えるようです。