「終活」への飽きたらなさ

投稿者: | 2019-05-17

一般の人が終活と言われるものにさほど乗り気になれないのは、いろんな要因があると思います。

ただ私の見るところ、メディアなどで取り沙汰される終活というものに対して「結局のところ、どうだって良い」といった飽きたりなさを感じているのが根底にある気がします。大した問題じゃない、と思っているというか。

たとえば葬儀やお墓のこと、あるいは終末期の医療についての意思表示だって、そうです。生きること、人生、いのちといったことについて本質的なテーマ、課題ではないということを感じ取っているのではないでしょうか。

最近やたらと週刊誌が特集する「死後の手続き」というテーマなんかも、そうでしょうね。

メディアで取り上げる際、こうしたいわば皮相なテーマで記事を書いたり番組を制作するのは楽、というのは察しが付きます。けれどそのために大事なことがほったらかしにされる傾向があるとしたら、由々しきことではないでしょうか。

簡単に答えの出せることではありません。けれど私はあくまで、生きること、人生、いのちといったことについて考え、また人々に問いを発し続けたいと考えています。実際には、年齢や性別に関係なく、人々はこうしたことを大真面目で考え、他人と語り合うのが好きなはずだ、とも思ってますので。

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