世界遺産の時なんかに比べるとあまり大きなニュースになっていないようですが、文化庁が20日に新たな日本遺産を16件、追加認定しました。
究極の「終活」旅 日本遺産に「西国三十三所観音巡礼」 : 京都新聞
その中で西国三十三所観音巡礼が「1300年続く日本の終活の旅」というストーリーのタイトルを付けたことが、一部で反響を呼んでいます。私はTwitterで「終活」というキーワードをウオッチしているのですが、片手に余るくらい書き込みを見かけています。ほとんどが違和感、嫌悪感を表明するものですけど。
たとえば、こうしたツイート。
西国三十三所巡礼の日本遺産におけるキャッチコピー?が、「1300年続く日本の終活」ってひどい気がする。50年後くらいにこれを見たときに、令和に持ち越した平成感がすごいなって思ったり思われたりしそう。
— ひら尾 (@yoshikih1625) 2019年5月20日
日本遺産に新たに16件認定
「1300年つづく日本の終活の旅〜西国三十三所観音巡礼〜」このネーミングに死ぬほど違和感ある。終活だけに。霊場巡礼は終活なんすか。ほーんってかんじ https://t.co/OEiteaH5h7
— 幣束 (@goshuinchou) 2019年5月21日
目にすればするだけ違和感があるな。日本遺産の「終活の旅」。分かりやすさを優先したのであれば、チラシのキャッチコピーで充分。日本遺産に思い入れはないけど、日本遺産って、点ではなく面を、そしてそのストーリー性が重要視されるものなのに、なんだか軽い印象を受けてしまうのは残念。
— 観音ガール (@kannonkohoku) 2019年5月21日
まず、「終活」という薄っぺらに感じられる言葉を、伝統ある巡礼に対して使ったことへの違和感があるでしょう。ミスマッチと言いますか。そもそもシニアの一部、そしてメディアを除いてはこの言葉およびそれがはらむ軽薄さというのはあまり好かれていません。観音巡礼に思い入れのある人ほど「終活はないだろうよ・・・」という思いを抱くようです。
あとは、巡礼にはいろんな動機があるのにそれを「終活」だと決めつけないでほしい、ということもあるようです。とりわけ人生の後半期・終盤期とは言えないような人たちにとっては「自分にとっての巡礼は、そんなつもりじゃない」という気がするようです。
生前準備というか死に支度の一環として、どこかへ旅をする、ということはあると思います。それは過去の思い出をたどるものだったり、やり残したことを成し遂げるためだったりするかもしれません。いずれにしても個人が「行きたい!」という思いを抱くことが出発点であって、それを受け入れる側が勝手に規定するものではないでしょう。余計なお世話という感じですよね。