誰かの役に立たない人は、生きる価値がないのか

投稿者: | 2019-06-18

前回の続きです。

高齢化、人口減少そして財政危機によって、今後日本人の我らは否応なくこうした命題に向き合わざるをえなくなるはずです。

といっても、家族であろうが赤の他人であろうが、「お前なんて生きている価値はないから、死んでしまえ」と命じる権利なんてあるわけがありません。あくまで当人の心の持ちよう、という話。

実際に役に立っているかどうかはともかく、どんな形でも役に立とうとすること、また他人や社会の厄介になっているのであれば、その負担をできるだけ軽くしようと務めることは人としてのたしなみだと思うのです。そしていささかでもそうした気持ちがある限り、その人の意に反して生命を抹殺、なんてことが許されるはずはありません。これは当然のこと。

ただ今後悩ましいこととして浮上しそうなのは、そうした「たしなみ」を欠いた人の方がぬけぬけと生き延びるであろうことです。そうなると負担する側の負担感はいや増して、嫌悪感さらには憎しみのようなものが生まれても不思議ではありません。

そうしたギスギスした世の中になると、「いい人」ほどますます自分の生に執着しなくなる、という悪循環が進むかもしれません。まさに、この世が修羅場になってしまう、といった感じです。

じゃあどうすれば、という答えを私がすぐに差し出せるわけではありません。ただこうした「現実」から目を背けたキレイごとだけの言論は、早急に駆逐すべきでしょう。でないと、かえって反作用みたいなのが強くなりますよ。

あと個人的には、渋沢栄一の「論語と算盤」じゃないですけど、孔孟を始めとする東洋思想が浸透させられれば事態は大幅に好転すると思ってます。ただこれもやはり、「分かるヤツには分かるけど・・・」みたいなところで、強制とか義務化みたいなのには馴染まないと思ってます。

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