日本の「終活」は、なぜ薄っぺらなのか

投稿者: | 2019-11-20

いわゆる終活について書かれた本を開いてみて、物足りなさを感じている人は少なくないでしょう。

テーマが手続きやお金に関わることに偏っていて、生きること・死ぬことの根本問題に触れていないためです。大きな声にはなっていませんが、そのことで終活というものから離れていく人は結構いるのではないでしょうか。心ある人は、自らオリジナルの生前準備を確立されているのかもしれません。きっとそうした人は、声高におのれの独自性を語ることはないのでしょうが。

なぜこんなことになってしまうのか。一番大きい理由は、万人に受ける、当てはまることを目的とするために、結果として「誰のためでもない」もの、最大公約数的なものになってしまっている、ということでしょう。

日本語で語られる以上、日本人(というか日本語を常用する人)が対象なのはもちろんですが、ある程度の年代以上のシニアが対象になっているのは間違いありません。でも、ほとんどがそれだけ。現代のマーケティング水準からすると、あり得ないくらいの目の粗さなのではないでしょうか。

これから多くの人が生前準備に取り組むようになるにつれ、この弱点はますますクローズアップされることでしょう。「ならば、自分が進化・深化させてやる!」くらいの気概を持った専門家が出てくると良いのですが。不肖私も、それを目指す所存です。

※この記事は、下記のツイートを目にしたことがきっかけで書きました。「触発」というやつですな・・・。

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