ドキっとさせるようなタイトルですみません。
このところ折に触れて浮かぶ想念です。人は身近な者の死を経験する中で死に親しむようになり、どこか「お迎えが来る」のを待つような心境になるのではないか、と。
もちろん、全ての人がそうだというわけではありません。その段階に至る前に亡くなってしまう人や、身近な者の死を受け止めきれないケースもあります。
ただ、上記のように死と親しむ中で亡くなる人は現にいますし、それがある種の理想的展開であることもまた、否定できないと思います。無理矢理キャッチコピー風にすれば、「死は、人生最後のレッスン」とでも言えましょうか。
周囲の人の死と、そして最後は自分の死と、どう向き合うか。それが生きることにおいてとても大事な要素だ。そんなことを、私はモンテーニュや吉田兼好、キューブラー・ロス、中野孝次などから教わりました。
死と親しむことで初めてわかる人生の味わい、みたいなものがあるはずです。死と親しむ心境を心待ちにしたっていいんじゃないでしょうか。そうすれば、他人の死に接した時の感じ方や振る舞いも違ってくるはずです。ちょうど眺めのいい景色を目にした時のように、全身の感覚を駆使して、その場の情景や自分の心象を心に焼き付けようとするはずです。