死に親しむ

投稿者: | 2009-04-23

ドキっとさせるようなタイトルですみません。

このところ折に触れて浮かぶ想念です。人は身近な者の死を経験する中で死に親しむようになり、どこか「お迎えが来る」のを待つような心境になるのではないか、と。

もちろん、全ての人がそうだというわけではありません。その段階に至る前に亡くなってしまう人や、身近な者の死を受け止めきれないケースもあります。

ただ、上記のように死と親しむ中で亡くなる人は現にいますし、それがある種の理想的展開であることもまた、否定できないと思います。無理矢理キャッチコピー風にすれば、「死は、人生最後のレッスン」とでも言えましょうか。

周囲の人の死と、そして最後は自分の死と、どう向き合うか。それが生きることにおいてとても大事な要素だ。そんなことを、私はモンテーニュや吉田兼好、キューブラー・ロス、中野孝次などから教わりました。

死と親しむことで初めてわかる人生の味わい、みたいなものがあるはずです。死と親しむ心境を心待ちにしたっていいんじゃないでしょうか。そうすれば、他人の死に接した時の感じ方や振る舞いも違ってくるはずです。ちょうど眺めのいい景色を目にした時のように、全身の感覚を駆使して、その場の情景や自分の心象を心に焼き付けようとするはずです。

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