前回記事「信仰なき日本人のために」の続きです。
信仰がある人はそれを頼ると良い。無い人でも(特に日本人の場合には)、「見えないもの」への畏敬や感謝を持った謙虚な生き方をすれば、死と無理なく向き合えるのではないか。そんなことを書きました。
ただ今後の期待として、科学が人間の魂とか霊性みたいなものについてある種の理論付けを与えてくれるようになるかもしれません。その可能性も頭に置いていて損はないと思います。
今だと、科学を信奉する人ほどスピリチュアルなもの・ことに否定的、という傾向があると思われます。それが将来は、最先端の科学について素養のある人ほどスピリチュアルなことを真面目に受ける止めるようになるかもしれないのです。現に今でも、理論物理学者でも世界トップクラスのような人は存外神を信じている人の割合が多い、なんて話もありますし。
科学はあくまで決められた方法に従って世界や宇宙を少しずつ解き明かしていく説明体系でしかありません。現時点で森羅万象を説明できる、ということはありませんし、のちになってその説明が書き換えられることもあります。
その限界について意識しておくことはとても大切ですし、他方で今は科学で説明できない不思議な現象・怪異な現象もいずれ科学で迫れるようになるかもしれない、と待つ気持ちも、あっていいのではないでしょうか。少なくとも、科学的に説明し得ないことはこの世には存在しえない!なんて言っちゃうのは全然科学的な態度ではありませんよ。