AIは人の選択をどこまで支配するようになるのだろう

投稿者: | 2020-01-24

日々やっていることの中で私が「もっと効率化できないかなぁ」と思っているのが、テレビ番組のチェック(および録画予約)や、新刊書のチェックです。

リストを眺めたり検索語を入れたり。それに費やす時間を無駄とまでは思いませんが、コンピューターのアルゴリズム、ひいては人工知能によって大幅に効率されるはずだ、と期待しています。それもシンギュラリティとかいう大仰な時節が来なくても、5年先10年先くらいには相当程度実現しているのではないでしょうか。

さて問題はその先です。人工知能が人の意思決定を支援し時には代行する流れが広まったとき、それはどこまで行くのでしょうか。家電製品や、クルマ、金融商品、家なんかの購買を支援してくれるようになるでしょう。さらには旅行のプランニングなども。

結婚や就職といった人生の重大事においても、人工知能が浸透するのは避けられそうもありません。重大事までも、というより重大事だからこそ「賢い選択」へのニーズは大きいからです。

そして最後には(あるいは最期には)、死に方の選択についても人工知能が口を挟むようになるかもしれません。最近、マインドアップローディングみたいなことが話題ですが、そうしたSFめいたものよりずっと以前に、当人の価値観や意思をAIに仕込んでおいて、当人が意思表示できなくなったあとでもAIが意思決定してくれる、なんてのは易々と実現しそうな気がします。

いずれも、手始めは洗練されてなくて失敗例とかトラブルが頻出するかもしれません。けれど適切に「調教」されれば、人工知能は生身の人間よりずっと素早く多くの要素を勘定に入れて、賢明な選択を行うようになっていくことでしょう、当人よりも。

そんな世の中が実現したとき、生身の人にとって「生きることの意味」とかってどんな風になっていくのでしょうね。適応できないことの恐怖よりも、適応しすぎちゃって人のありようそのものが変容していく不安が大きいです。

あまりうまくないたとえですが、ドラえもんが来る前と後では野比のび太の生活は様変わりしました。だれもが「ドラえもん無しでは生きていけないのび太」みたいになってしまうのではないでしょうか。

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